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有里って、はしたないの?























(三)


七月 十八日 金曜日 午後九時四十五分  早野 有里
   


        「あー、サッパリした」

        汗でべたついた肌がお風呂で清められたみたいで、心まですっきりする。
        特に、お風呂上がりの桜色の肌から立ち上るほのかな石鹸の香りはなん
        とも言えない。
        我ながらうっとりとしてしまう。

        なんだか今日は開放的な気分……

        わたしは素肌に下だけ身に着けると、その上からバスタオルを巻いてリ
        ビングに入った。

        「もう、有里ッ! また、そんな恰好で……年頃の娘がすることじゃな
        いわよ」

        案の定、怒られた。

        「大丈夫よ、お母さん。誰も見てるわけじゃないし……
        それに、ほら。下はちゃんと穿いてるんだし」

        わたしは、わざとタオルの裾をひらいて腿のつけ根まで露出させた。

        「やめなさいッ! もう、あなたって子は……
        ほら、晩御飯ができているから、早く服を着なさい」

        「はぁーい」

        今日のわたしは何か変……

        勘違いしないでよ。
        普段はもっとお淑やかなんだから……

        服装だって、よく友達に地味だと言われる。
        夏の暑い季節でも肌の露出はなるべく控えるように、長袖のTシャツに
        ジーンズが定番のスタイル。
        ミニスカートやちょっと露出っぽい服も持ってはいるけど、身に着ける
        ことはほとんどない。

        以外でしょ。
        明るくて身体を動かすのが大好きで、そういう女の子は大胆な衣装も平
        気って……
        みんなはそう思うかもしれないけど、わたしは全然平気じゃない。

        どうしてかな……? 

        肌を見せるのにちょっと抵抗があって……
        ……別に羞恥心が異常に強いってわけじゃないよ。

        ただ、好きな人ができたら、わたしも変わるかもしれない。
        それだけに今日は特別だと思う。



        「もう、お腹ペコペコ。いただきまぁーす」

        わたしは母と向かい合うように席に着くと、あいさつもそこそこに食事
        を始めた。

        お腹のムシが、耐えきれないようにまた鳴いた。
        時刻は午後10時。他の家と比べれば結構遅い夕食。
        でも、わたしがバイトを始めてからはずっとこの時間。

        お母さんには気を使わせたくなかったから、先に食事するように頼んだ
        こともあったけど、バイトが終わるまでいつも待っていてくれた。
        そして、帰宅時間に合わせて食事の準備をしてくれる。

        ありがとう、お母さん。
        わたし「いただきます」の後に、いつもこう言っているんだよ。
        でも、口には出さないようにしている。
        だって気を使わせたくないからね。

        「それにしても、毎日暑いわね。有里も身体には気をつけてね」

        「うん……気を付ける」

        わたしはお腹のムシを退治しようと、口をモゴモゴ動かしながら曖昧に
        返事をした。

        「あなたにもしものことがあったら、私……」

        「大丈夫よ、お母さん。バイトにも慣れてきたし、それにおじさんや店
        に来るお客さんもいい人ばかりだから、心配しないで」

        なーんか嫌な予感がする。
        もう少し気の利いた返事をすれば良かったかな。

        「ごめんね……有里……」

        ……やっぱり! お母さん、涙ぐんでる……!?

        どうしようかな……ここはなんとか穏便に……

        「やだなぁ、そんなことで謝らないでよぉ。ちょっと照れくさいじゃな
        い」

        「うっううぅぅぅっ……」

        だめだ、泣きやんでくれない。
        こうなったら奥の手でも……
        うん。ちょっと恥ずかしいけど……やってみますか……!

        「もう、お母さんったら……わたしの体力を甘くみないでよ。
        さあ、有里の右腕にご注目……中学、高校と鍛えに鍛えたこの身体。
        ……見よッ、この力こぶ……!」

        わたしは、袖をまくる仕草をしてひじを曲げた。
        ……我ながらやっぱり恥ずかしい。

        「ふふっ……有里ったら……」

        でもよかった。ちょっとだけ笑顔が戻って……

        わたしは、気付かれないように母を見つめた。

        お母さん、あんなに白髪あったかな。
        髪の生え際に、白いものが目立ち始めてる。
        それに、あまり笑わなくなったよね。
        ……やっぱりお父さんの入院のせい?

        でもね、そんなことひとりで抱え込まないでよ。
        娘のわたしにも、もっと相談してよ。
        ……これじゃ、こっちまで悲しくなる。

        わたしは母から顔をそらすと、思い出したように話題を変えた。

        「ところで、お母さん。今日もお父さんの見舞に行ったんでしょ。
        具合の方はどう?」

        お父さん、ごめんね。
        これって、突然振る話題じゃないよね。
        わたしは胸の中で父に謝罪しながら母の様子を窺った。

        「ううん、昨日と一緒……
        目は開いているんだけど、お母さんが呼び掛けても何も応えてくれない。
        ……でもね、松山先生の話だと、少しづつでも良くなっているらしいわ」

        「良かったじゃない。先生がそう仰るんだったら、わたしも安心。
        それに、お母さんの呼び掛けも、お父さんの耳にはきっと届いていると
        思うよ。……ただ身体が動かないだけ。
        あさってはお店の定休日だから、わたしも一緒に行くね。
        お父さんに会うのも1週間振りね。……早く会いたいな」

        「そうね。日曜日にはふたりで行きましょう。
        きっとお父さんもびっくりするわよ」

        お母さんが笑っている。
        もう大丈夫。元気を取り戻したみたい。
        さすがは夫婦の絆。御見それしました。

        ……でも、わたしは複雑な気分。
        母が話した松山先生って、お父さんの担当医なんだ。
        お母さんは信頼しているけど、わたしは苦手。

        初めて会った時から、なんかこう……身体を舐め回すような視線にビク
        ッとなっちゃって……
        きっとわたし、あの先生に会うのが怖いのかもしれない。

        でも、こんなこと言ったら罰が当たるよね。
        多分、わたしの思い過ごし……多分……

        「あ、それと……並木のおじさんも心配していたよ。
        お父さんの容体と、お母さんにあまり無理しないようにって……」

        並木のおじさん、ごめんなさい。
        ついでみたいな言い方で……

        「並木さんにも余計な心配を掛けちゃったわね。
        お母さんは大丈夫だから、有里の方から宜しく伝えてくれないかしら。
        それと、近いうちにわたしもお礼に伺うわね」

        「えっ、お母さん来るの?」

        「ええ、行かせてもらいます。娘の働き具合も見てみたいしね」

        なんか最悪……
        これも並木のおじさんをついで扱いにしたから?

        でも良かった。
        お母さんとこんなに長く話できて……
        お父さんも、早くこんな会話に加われたらいいのにね。

        わたしは、父がいつも座っていた椅子に視線を落としてから、リビング
        の本棚に目を移した。
        その棚には、家族三人の思い出が詰まった写真立てが飾られている。

        父と母と私が三人並んだ状態で、高原の湖をバックに撮った記念写真。
        父と母の笑顔が眩しくて懐かしい。

        お母さんの代わりに、わたしの涙腺が緩んできちゃった。