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9月 10日 水曜日 午後4時20分 水上 千里 「それで茜さんは、お昼のランチは何にしたの?」
有里ちゃんが興味津津って顔で、茜ちゃんの方を見ている。
「それは……」
あらら、今度は茜ちゃんの元気がなくなっちゃった。
「有里ちゃん。彼女、答えづらいみたいだから許してあげたら。
別に私は、女の子が大盛りカツ丼をオーダーしたって、おかしいと思わないけどね……あっ、言っちゃった!」
「……水上先輩……ひどいですぅ」
「ごめ~ん、茜ちゃん。そんなことで泣かないの。
もう、仕方ないなぁ。あなたにも、ごちそうするわ。ね、それで機嫌直してよ」
「はぁ~い。うふふふっ……♪」
変わり身の早い子。もう、元気を取り戻してる。
「わたしも大盛りカツ丼にしようかな? ……うふふふっ♪」
「へーぇ、有里さんもガッツリ系なんだ。でも、なんとなく分かる気がする。
……そう言えば、大丈夫だったかな……あの人?」
「あの人って……?」
ほんのちょっと気になって、私は茜ちゃんの顔を覗いた。
「アタシと先輩と一緒に、大盛りカツ丼を食べてた人のことですよ。
ランチの後どういうわけか、アタシの後を付いて来て……それで先輩。どうしたと思いますぅ?」
心配そうに語る茜ちゃんの後ろで、有里ちゃんが笑いを殺すのに必死になっている。
「さあ……?」
「あの人、突然パタンって倒れちゃったんですよ。そして、心配して駆け寄ったアタシに一言。
『食べ過ぎで、気持ち悪い』って……
アタシ、バカバカしいくらい驚いちゃって……
おまけに、ひとりだけだったから誰か応援をって考えた時に、偶然有里さんが通りかかって……そうしたら、もう1回驚かされちゃって……」
「倒れた人って、有里ちゃんの知り合いだったんでしょ?」
茜ちゃんの話が終わる前に私が答えをしゃべったものだから、彼女がまたほっぺたを膨らませた。
「な~んだ。先輩、知ってたんですか」
「うん……まあね……」
「もう、調子狂っちゃうな。で、ふたりして頭と足首を掴んで、この処置室まで運び始めたときに、今度は甲高い女性の悲鳴が聞こえて……えっと……」
その悲鳴って。もちろん千里のことよね。
だけど私は続きの話を促した。
「それで茜ちゃん、どうしたの?」
「アタシと有里さん。悲鳴の方が気になって、あの人……放り出して来ちゃったんです。どうしよう、先輩……?」
「茜さん、そんなの気にしなくても大丈夫。あの人は少々のことぐらいでは、くたばらないから」
そう言うと有里ちゃんは、足音を忍ばせて処置室の扉に近づき、一気に開いた。
「……でしょ♪」
「……納得」
なにもない空間で虚しく聞き耳を立てている、自称食べ過ぎの人。
その横で、自慢そうに咳払いした有里ちゃんが、懲らしめるように睨みつけている。
私の横では茜ちゃんが、ポカンとした顔で何度もうなずいている。
アナタって、そういう趣味があったのね。
でも、ひとつだけお礼言わないとね。
アナタのお陰で、有里ちゃんと茜ちゃん。仲良くなれたみたいだから……
9月 15日 月曜日 午前10時 時田グループ 社長執務室
およそ100平方㎡。高級ホテルのスイートルームと見紛うような執務室にその男はいた。
名は時田謙一。この国の金融界をリードする時田グループの創始者であり、今も代表取締役としてトップに君臨している。
『はぁっ、はぁっ……どおぅ、気持ちいいぃ? 気持ちよかったら……ああぁぁぁぁん、はぁ、早く出しなさいよぉっ!』
『あっ、あっ、あっ、あっ、イク、イクッ、イクうぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっっ!……んんんっっ!』
「ふんっ、この程度か?」
「えっ?! それは……」
「わからんか。お前の仕事は、この程度のものかと聞いておる」
壁面を覆い尽くしそうな60インチの液晶モニターを、ぞんざいな手付きで時田は消した。
そして、背後に控える男を見向きもせずに問い質した。
「叔父さん……いえ、社長。早野有里ではご不満でしょうか?
でしたら、吉竹舞衣の映像も準備しておりますが。こちらは、手淫する様子を自ら……」
「ええぃっ、やめんか!」
「は、申し訳ございません」
久々に聞いた時田の一喝に、その男、副島徹也は、入隊したての新兵のように姿勢を正した。
時田謙一と副島徹也は、叔父、甥の間柄である。
だがこの世界に身を置く彼らには、血の繋がりによる馴れ合いなど微塵も感じられない。
あるのは常に、絶対な権力を誇示する国王と、それに忠誠を尽くす家臣との関係そのものだった。
「仕方あるまい。お前に手本を見せてやる」
リーン♪ リーン♪
心地よくも物悲しい鈴の音が執務室に響き渡る。
誰かを呼ぶつもりなのか、黒金色をしたベルを時田が鳴らした。
ほどなくして執務室前面の扉が開かれ、徹也も見知った男が姿を現した。
「小宮山!」
相性の悪い男の出現に、思わず徹也の口から声が漏れる。
『氷の支配人』の異名を持つ彼とは思えない。その冷徹な瞳には隠しようもない殺気を漲らせていた。
そして、視線は小宮の右手から伸びる大型犬用のリードへと注がれ、殺気を怒気へと変化させた。
「小宮山、ペットの躾は順調か? こいつめ、この前の接待ではワシにとんだ恥をかかせおったからな」
「はい、社長。今も朝の散歩として、このフロアーを3周ほど回ってきたところでございます。なあ晴海、気持ちのいい散歩だったよな」
傍に控える徹也に見向きもしなかった時田だったが、小宮山の答えに頷くと、全裸のまま四つん這いにさせられた女にも目を向けた。
それに呼応するように、小宮山がリードを引いた。
「ううっ……はあ、はぁ……はい……気持ち……よかったです……んんっ」
透き通るような肌をピンク色に染めた女は、肩で息をしながらそう答えると、がっくりと首を落とした。
この本社ビルのフロアー3周を散歩だと?
1周500として、1・5キロ。それもただの四つん這いとは訳が違う。
徹也は、項垂れたまま持ち上げたヒップをくねらせる女を見つめた。
同時に耳を澄ませる。
ヴィ―ン、ヴィ―ン、ヴィ―ン、ヴィ―ン……
徹也にとって聞き慣れた、低周波なモーターの音。
その音を発する道具が、どこに埋まっているかなど確認するまでもないことだった。
山崎晴海、19歳。
女性というより、まだあどけなさを漂わせた少女は、社長秘書の名目で今年の春に配属された。
だが、実際のところは早野有里や吉永舞衣と同様、時田の慰み者にされている哀れな女のひとりだった。
「徹也も少しは参考になったか? 女はこうして仕上げていくものだ。分かったか」
「はい……社長……」
「よし、下がれ」
時田の後ろ姿ら最敬礼した徹也は、執務室を後にした。
その横顔を小宮山の嘲笑じみた視線が、耳障りなモーターの音と漏れ出る女の吐息が見送った。
『おい副島。来年開校予定の“洋明学園”の噂を知っているか?
なんでも初代校長候補だった男がツマラナイミスで左遷されて白紙らしいぜ。例の副社長一派の工作らしいがな』
『それで、後釜は?』
『誰だと思う? 驚くなよ。副島、お前さんってのがもっぱらの噂になってるぜ」
『バカな……』
本当にバカげたことだ。
徹也は寒々としたフロアーに靴音を響かせながら思った。
どんなに社会に背を向けた仕事でも、俺は天職だと信じている。
無垢な女たちを真綿で締め上げるように、じわじわと羞恥色に染め上げていく。
その美学を小宮山は全く理解していない。
だから、あんな悲劇を……それなのにアイツは懲りもせずにまた……
鳴り響く靴音がやんだ。
全面ガラスに覆われた地上36階からのパノラマを、しばらくの間徹也は眺めていた。
一人旅を楽しんでいた綿雲が、突如、灰色がかった雨雲に同化されていく。
その様に何を思ったのか、『氷の支配人』に相応しい瞳を徹也は取り戻していた。
「だとしてもです。私もまだまだ現職で活躍したいですからねぇ。
有里と舞衣。アナタ方には申し訳ありませんが、これからの調教が多少ハードになることを許してくださいねぇ。くくくくっ」
『少女涙の羞恥生活 2 完』目次へ