(4) 黒川信人の視点 さらに3日が経過する。
俺は、当たり前すぎる女子高生の行動に焦りを感じ始めていた。
金持ちの令嬢らしからぬ徒歩での通学以外、これといって違和感を嗅ぎ
取ることが出来なかったからだ。
調べろというからには、なんらかの理由があるはずだ。
窃盗、恐喝、不純異性行為、そんな大げさなものでなくても構わない。
ちょっとボーイフレンドと手を繋いで歩く。
そんな些細な行為からでも、決め手となる糸口は解れてくるものなんだ
が……
「ちっ、今日も空振りってか……さすがにマズイな……」
彼女の自宅までおよそ200メートル。
校門を出てから寄り道ひとつせずに黙々と歩き続ける姿に、俺は小声で
愚痴っていた。
そう、この時の俺はいつもの自分を見失っていたのかもしれない。
あれだけの人気者の美少女が、たったひとりで毎日登下校している違和
感に……
そしてシロート丸出しの探偵ごっこは、ターゲットである少女によって
幕を下ろされた。
「やばい! 気付かれたか?」
突然だった。同じペースで歩いていた彼女の足が不意に止まった。
そのまま、キョロキョロと周囲を見回したかと思うと、10メートル後
方の電柱柱を目指して後戻りを始めた。
いや、彼女の視線は電柱など見てはいない。
その陰に半身を隠しているこの俺に向けられていた。
「いつから俺のことを?」
「3日前から……です……」
異性と話すのは気恥ずかしいのか、うつむき加減の彼女だったが、俺は
それどころではなかった。
3日前からだと?!
だったら俺の尾行は初日からバレていたってことか? こんな小娘を相
手に!
俺の中で、元興信所勤めというプライドが音を立てて崩れていく。
こんな猿でも出来そうな尾行をドジるとは、俺も焼きが回ったな。
「いえ、違うんです。これには訳がって……」
俺が落ち込んでいるのが顔にも表れているのか、彼女が慰めるように話
しかけてきた。
ますます俺のプライドは、深く深く沈んでいく。
「わたし、あなたのことを知っているんです。あ、いえ……名前とかじ
ゃなくて、その河添課長と一緒にいるところを……」
「おい?! 今なんて?」
俺は思わず声を荒げていた。
慰め役だった少女が、首をすくめて口に手を当てる。
「いや、驚かせてすまない。でも教えてくれないか? キミがどうして
俺たちのことを?
あっ、申し遅れてすまない。俺の名前は黒川っていうんだ」
俺は自分の名前と、自分の携帯番号だけが刷り込まれた名刺を手渡した。
「……黒川……信人さん?」
彼女は名刺に記された名前と俺の顔を交互に見比べてから、その名刺を
胸ポケットにしまった。
情けないが、探偵がターゲットから情報をもらうことになるとは。
だが、こうなった以上覚悟を決めて聞き出してやる。
「それで、さっきの件なんだけど?」
「ごめんなさい。ここではちょっと……」
「それだったら……えーっと。あっ、そうだ。喫茶店ならいいかな?
ジュースでもパフェでも、なんでも好きなモノをご馳走するよ」
「いえ、わたし……そういうつもりでは……」
俺の誘いに下心が見え見えだったのか、気まずそうに彼女が俯いた。
だろうな。良家のお嬢様が、見ず知らずの中年男と喫茶店なんて。
やはり、今の俺はどうかしている。
ここは一度、撤収した方が……? ダメ元で日を改めて……?
それでも、下手をしたら……いや、確実にチェックメイトだろうな。
河添課長から勝ち得た信頼も、小さいながらも必死の思いで立ち上げた
俺の会社の命運も……
俺の理性が白旗を振る。
ペラペラと軽い言葉で墓穴を掘る自分が情けない。
「あははは……そう、だよね。こんな時間に喫茶店に行ったりしたら、
ご両親が心配するよね。だけど、話だけでも聞かせてくれないかな?
明日、校門の近くで目立たないように待っているから。ね、頼むよ」
俺は両手を合わせてお願いした。
「……」
彼女は黙って俯いたままだった。
「うーん、だめか……」
諦めきれずにオレンジ色の空を仰ぎ見る。
そして、彼女の返事も待たずに背を向けていた。
元から色よい返事など期待していない。
そうだ。会うか会わないかは、彼女に任せよう。
もしかしたら……有り得ないかもしれないが明日彼女と校門で……
辿って来た道を後戻りするように歩き始めた。
背中の少女も、自分の家へと向かう姿を想像して。
「ま、待ってください。黒川さん……でしたよね? お話が……」
不意に掛けられた彼女の声に足が止まった。
「あ、あの……聞いて……くれますか?」
俺は無邪気な子供のように頬を緩めて振り返っていた。
そのまま、俺の身体は金縛りにでも合ったように固まった。
思いつめたように唇をきゅっと噛んだ彼女の表情に。
全身からオーラのようにみなぎる、恥じらいと凛とした決意が同居する
のを感じて。
そして、俺と彼女だけの時間が止まった。
「お、お願いします……わたしを……み、美里を抱いてください。美里
とその……セ、セックスしてください!」
直立不動のまま、自分の耳を疑った。
「はあ?! 今……なんて……?」
「ですから、わたしとセックスしてください。どうか、なにも仰らずに
……」
オレンジ色に染まる世界の中に、華奢な少女の身体がシルエットのよう
に浮かび上がる。
話し終えてもなお震えている桜色の唇。
純水のような透明な涙を湛えた縦長の瞳。
それにもまして、羞恥色に満たされた少女の無垢な肌に、俺は目眩を感
じた。
胸の奥が掻きむしりたいほどに焼け爛れて、俺は……黒川信人は?!
頷いていた。
無言のまま、油の切れたロボットのように、カクカクとした動きで首を
下に落としていた。
『なにも仰るな』というより、声帯が働くのを放棄している。
いや声帯だけではない。彼女の放つオーラに魅せられた身体の機能が、
すべてダウンしたように動かない。
セックス?! こんな天使のような少女がこの俺と?! それも自分か
ら?!
いつ? どこで? ホテルはあそこが……?
それなのに俺の中の男だけは、本能で活動を開始している。
少女の言葉の意味をほとんど理解しないまま、マグマのように蓄積した
性欲を満たそうとして、ムクムクと頭をもたげてくる。
「本当にいいんだな? この俺とで」
「は、はい。黒川さんとなら美里は……」
再び時間が動き始めて、俺は彼女の手を引いて歩いていた。
学校帰りの制服に身を包んだ少女が俺の元から逃げないように、手首を
ちぎれるほど握り締めてホテルへ向かった。
おっ、そろそろお出ましのようだな。回想もここまでだ。
俺はバスルームからの微かな気配を感じ取り、逸る鼓動をなだめるよう
に両目を閉じていた。
そして、数分。
おぼつかない足取りで少女が近付いてくる。
喉仏がごくりと生唾を飲み込むのを、無意識に俺は聞いた。