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風変わりな用心棒 ちょっとだけいい話























(十七)


八月 十二日 火曜日 午前零時十分  早野 有里
  


        その人が現れたのは、わたしが携帯を掛け終わった直後だった。
        ノックの音がして、こっちの返事も待たずに、扉がひらかれていた。

        また、あなたなのね。
        立っていたのは、大柄で怖い人……
        そう、わたしをこの応接室まで、案内してくれた、この病院の職員さん?

        それにしても、この場所にいたようなタイミングの良さ……
        それに、突然扉をひらくなんて、失礼よね。
        少なくても部屋の中にいるのは、心に傷を負った悲劇のヒロインなのに
        ……

        わたしは警戒するように、失礼な人をジロリと睨みつけた。
        そして、あなた、そのカギ穴から覗いていなかったでしょうね……と、
        心の中でつぶやいた。

        なぜ、言い返さないのかって……?

        それは……わたしが、か弱い悲劇のヒロインだから……それは、冗談。
        本当は、ちょっと変わった人だったから。

        というのも、この部屋に入ってからずーっと、遠い目で一点をみつめて
        いる。
        その間、扉から少し中に入った場所で、全く動く気配なし。
        その上、相変わらず無口で無表情……
        何を考えているかも分からない。

        ね、変な人でしょ。

        仕方ないので、ここは下手に……

        「あのぉー……? 副島さんから、あとのことはあなたに聞けと言われ
        て……それで……シャワーを使わせていただけませんか……?」

        「…… ……」

        「あのーぅ……?」

        変な人は、初めて会ったときと一緒で、あごをしゃくって、部屋に隣接
        するバスルームを示した。

        「なんなの、その態度……ッ!」

        思わず、カッとなってつぶやいて、慌てて口を押さえた。

        どうして、一言もしゃべってくれないのよッ!
        機嫌でも悪いの……?
        それとも……性格? ……仕事柄?

        ……まさか、一緒にシャワーを浴びる気じゃ……ないでしょうね。

        そう思って後悔した。
        頭の中に、副島の顔が浮かんで、ニターッて笑い掛けてきたから。

        ……でも、この人……その気はなさそう……

        さっき部屋の中で固まっていたように、バスルームの入り口でまた固ま
        っている。
        表情も、まったく変化なし……

        ちょっと変わった人だけど、とんでもないことは……しない気がする
        ……これなら大丈夫かな。

        わたしは警戒心を解き、バスルームのドアをひらいた。

        でも、一言だけ忠告を……
        「覗かないでね……!」って……



        30分後、さっきと全く同じ場所で、無口な人は固まっていた。
        姿勢も全く同じ、直立不動状態……

        まるで、番兵か用心棒みたいな人……
        ちょっと不気味でおっかないけど、あの男とは全然違う。
        なんて言ったらいいのかな。純粋な人としての心を持っている感じ?

        ……この人なら、わたしのお願い……かなえてくれそうな気がする。

        ここは、さりげなーく、下から上目づかいで……

        「あのぉ、頼みたいことが有るんですけどぉ、聞いてもらえますぅ……?」

        「…… ……」

        「父の病室まで、案内して欲しいんですぅ。それとぉ……無理かもしれ
        ませんが……そこで一晩、泊らせて、ねっ……?」

        「…… ……」

        「あの……なにか反応してくれませんか……?」

        「…… ……」

        ……せっかく可愛く話したのに、損した。
        やっぱりこの人、固まったままの、ただの変人かもしれない。

        「やっぱり、だめですよね。ここは、夜間の付き添いは家族でも禁止に
        なっているし。ごめんなさい、わがまま言って……あの、ちょっと…
        …?!」

        無口な人は突然動き出し、わたしに背を向けると、部屋を出て入院棟の
        方へ歩いて行く。
        その背中は、まるで付いて来いと言っているよう……な、気がする。

        ……ちょっと、待ってよぉっ。

        わたしは、足音を立てないように気を使いながら、男の背中を追い掛け
        た。
        薄暗い病院の廊下に、足音だけがコツコツと小さく反響する。

        それにしても、この病院って、増築ばかりしているから中が迷路みたい。
        それに、消灯時間を過ぎているから、通路も病室も薄暗くて……
        天井から吊り下げてある案内札も、薄闇に溶け込んだようで確認のしよ
        うがない。

        ……ここは、どのあたりかしら?
        きみは、わかる? 

        …… ……?!

        ……えっ?! いないじゃないッ!
        全く……どこに行ったのよッ!
        もう、肝心なときには、いなくなっちゃうんだから……

        もう少し、ゆっくり歩いてよ。
        わたしがそう思っても、前を歩く人には気が付いてもらえない。
        それどころか、ストライドの幅を生かすように、どんどん加速していく。

        こんなところで見失ったりしたら……頭の中をいろんな想像が走り始め
        ている。

        オバケ、ユウレイ、オバケ、ユウレイ、オバケ、ユウレイ、オバケ、ユ
        ウレイ……

        「もう、待ちなさいよぉっ……」

        思わず出した声は、震えていた。

        わたしは、男に追いつこうと無理をして速足で歩いた。
        太ももどうしが、歩くたびにこすれるように触れあってしまう。

        ……やだぁ。また、痛くなってきた。

        腿のつけ根を、鈍い痛みが襲ってくる。

        もしかして……出血とかしてないよね……?

        あそこから流れ出た血が、下着を汚すのを想像して身震いする。
        そうしたら、自然と歩くスピードがゆっくりになった。

        ……どうしよう……はぐれちゃった。

        案の定、見失った。
        暗くて無音の世界に、わたしの息づかいだけを、耳が捉える。

        ……こわい……

        「コツ、コツ、コツ、コツ……」

        足音が聞こえる。
        それも、だんだん近くなってくる。
        通路の先に人影が現れ、足音に合わせるように近寄ってくる。

        ……まさか……
        オバケ、ユウレイ、オバケ、ユウレイ、オバケ、ユウレイ、オバケ、ユ
        ウレイ……

        「……だれ……?」

        小さい心細い声で聞いた。

        「…… ……」
        「……?!……」
        「……あなたは……!」

        目の前に立っていたのは、無口なあの人……
        心配して、戻って来てくれたのかな……?

        女の子をこんな怖い目に会わせて……出来の悪い用心棒さんね。
        そう思ったけど……どうしてかな……やっぱり嬉しい。

        わたしは何も言わずに、感情のない目に視線を合わせた。
        そこに、昔懐かしい、なにかキュンとなるものを感じた。

        ……わたし……この人と、どこかで……?
        ……でも、今は思い出せない。

        ……それにと言って、現実が悲しい思いを、胸に注ぎ込んでくる。

        ……多分、この人は知っていると思う。
        今夜、あの部屋で……わたしが何をさせられたのか……
        胸の中に、現実という名の酸っぱい悲しみが広がった。

        怖くて不気味な暗闇だけど、ほんの少し感謝しようかな。
        目が潤んでいるのに、気付かれなくて……ほんと良かった……

        その後、無口な人は、6階の個室フロアーまで、わたしを無事に案内し
        終えると、暗闇に溶け込むように去って行った。

        わたしは、消えていく男性に頭を下げながら、胸の中でつぶやいた。

        ありがとう……ちょった風変りなボディーガードさん。
        次に会うときには、何かしゃべってね……



        「さあ、お父さんの病室へ行かないと……」

        無口な人がいなくなって、今度こそ、わたしひとり。
        音も無く静まりかえった廊下は、うす暗くて、なんだか寒々しい。

        わたしは、非常灯の明かりを頼りに、暗い廊下を怖々と歩いた。

        「……早野勇……」

        お昼間とは違う雰囲気の中、父のネームプレートを見付けて、ほっと胸
        をなでおろす。
        そして、静かに扉を引いた。

        お父さん、会いにきたよ……

        暗い室内から、規則正しい寝息が聞こえてくる。
        そっと、足音を忍ばせながら、父の眠るベッドに近づいていく。
        昨日も、今日も会っているのに……無性に懐かしくて、せつない思いが
        胸を突き上げた。

        それなのに……顔を見るのが怖い……
        こんなに会いたかったのに……なぜかな……?

        わたしは息を止めて、枕元に寄り添った。
        そして、寝息を立てる父の顔を、そっと覗き込んだ。

        暗闇の中で、死んだように眠る父……
        痩せて精気を失った顔が、仄かに浮かんでいる。
        それでも、胸の確かな上下が、生を教えてくれた。

        わたしは、眠る父に話し掛けた。
        ただし、起きないように、小声でそっと……

        「……お父さん、ごめんね。こんな遅くに会いに来て……
        理由は……聞かないでよ。わたしにも、色々あるんだから……
        あ、お母さんとわたしが、昼間会いに来たこと、お父さん知ってる……?
        今日だけじゃない。毎日だよ。
        ……そう。この1週間、家族3人水入らず……
        みんな、応援してるんだから、お父さんも頑張らなくちゃだめだよ。
        …… ……
        ……わたしもね……がんばったんだよ。
        少しは、ほめてもらいたいな。
        ……それとも、怒られるかな。
        …… ……
        ……どっちでも、いいよ。
        わたし、お父さんの病気が治るなら……ううん、なんでもない。
        早く良くなって、また、家族一緒に暮らしたいね。
        それと……今日は、ここに泊っていいでしょ。
        お父さんと一緒に、いてもいいでしょ。
        ……そうしたら、明日からも頑張れそうだから……」

        ……父の寝顔が、揺らいだ。

        わたしは、音を立てないように丸椅子に腰かけた。
        張りつめた糸が切れたように、手足の力が失われていく……

        いつまでも、寝顔を見ていたかったのに、睡魔が迎えに来たみたい。

        ……わたし、ちょっと眠るね。
        おやすみなさい。お父さん……

        まぶたが自然に閉じられ、身体が壁に寄り掛かっていく。

        夢の中で奏でられていたのは、お父さんとわたしの寝息のハーモニー……
        けっして、歯ぎしりとイビキではないので……あしからず。

        ……どう。ちょった泣けた?