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新たなコレクション候補























(十八)


八月 十一日 月曜日 午後十一時三十分  松山
   


        「勤務態度は、特に問題なしと……過去に、過失経験もなし。次は……」

        私は、ファイルに添付された資料と手元にある写真を見比べながら、最
        終候補者の選定作業をしていた。

        経歴、家族関係、容姿など、数多くの条件をクリアーしなければ、あの
        お方……時田謙一のコレクションに加わるのは、難しいだろう。
        それだけに、候補者の選定は慎重でなければならない。

        もう一度、数枚のスナップ写真に目を落とす。

        水上千里 21歳 看護士。

        ……この女でいく。
        私は、決断した。

        最後の決め手は直感……そう、勘ってやつだ。
        慎重なうえにも慎重を重ねて、決断は自分の本能で一気に……
        これまでも、このやり方でうまくいった。

        あとは、調教場所の確保だが……これがまずいことになっている。
        本来なら、あの薬剤倉庫が、うってつけの調教部屋だったが、ついこの
        前、副島がリフォームと称して、自分専用の部屋に改築してしまった。

        あの副島という男……私は好きになれないが、時田とあいつは、伯父、
        甥の関係にあたり、うかつに手を出すことが出来ない。

        ……どうしたものか?

        最悪の場合は、勤務時間内の職場調教というのも、考慮しないといけな
        いかもしれない。
        ……まあ、これも一興としておこう。

        それにしても、副島が担当する早野有里という少女は、実にいい素材だ。
        あの副島を、一瞬でも腑抜けにするとは……
        仕込めば、相当なコレクション価値を生むかもしれない。

        しかし、初日にしても少々手緩過ぎないか。
        あれでは、時間ばかり浪費することになると思うが……
        まあ、上手くいかないとなれば、それはそれで好都合だが……
        ここはお手並み拝見というところか。

        私も明日から忙しくなりそうだ。
        暇を持て余す副島と違い、私は医師としての顔もある。
        そこのところを、時田には理解して欲しいのだが……
        愚痴はもう言うまい。

        今は、この女のコレクション価値を、どれだけ高めることが出来るか?
        それによって評価を上げるしか、私には選択肢がないのだから……




八月 十二日 火曜日 午前八時一五分    早野 有里



        「行ってきます……」

        わたしは、送り出す人がいない玄関で、いつものようにあいさつした。
        お母さんが、パートの仕事に就いてからは、最後に家を出るわたしが、
        戸締りをするのが日課になっている。

        でも今朝のわたしの声は、自分でも驚くほど元気がない。

        玄関のドアを閉めて、鍵を掛ける。
        そして、自分の家を見上げるようにして、もう一度つぶやいた。

        「……行ってくるね」



        わたしは、ショルダーバッグを肩に掛け直すと、駅に向かって歩き始め
        た。

        ……んん?

        塀に寄り掛かるようにして、わたしを待っている人がいる。

        おはよう……

        昨日は御苦労さまって言いたいところだけど……どうして、いなくなっ
        たのよ。
        きみのせいで、あの後わたし……ひとりだけになって、メチャクチャ怖
        い思いをしたんだから……

        ……それで、大丈夫だったかって……?

        大丈夫でなければ、ここにはいないわよ!
        少しは反省して、責任とってよッ!

        …… ……ふふっ。
        ……なーんてね……冗談よ。

        じつはね、きみがいなくなった後に、ちょっとしたラブロマンスがあっ
        たんだよ。
        ……でも、教えてあげなーい。

        ……ところで、きみは眠れた?

        わたしは、お父さんと一緒に、朝までグーッて感じ。

        ……でもね。朝からこんなこと言うのも何だけど、気持ちはとってもブ
        ルーなんだ。
        歩きながらになるけど、ちょっと付き合ってくれる……?



        「初めての、朝帰り……
        テレビドラマだと、ここで頑固親父の愛の平手打ちって場面だけど……
        わたしの場合、肝心の頑固親父がいないものね……
        まさか、お母さんがパシーンッてのも、どうかと思うし……
        ……でも、他にやり方なんて……」

        通りの商店が、開店の準備に取り掛かる頃、わたしは、思い出したよう
        に独り言をつぶやいては、後悔するように大きく息を吐いた。

        あれぇ、誰か挨拶してくれたような……?

        ……失敗したな。
        明るい笑顔、明るいあいさつは、わたしの代名詞なのに……

        きっとその人、わたしに無視されたと思って、気を悪くしているんじゃ
        ないのかな。

        ここは、思い切って、商店街の真ん中であいさつしようかな。
        おはようございまぁーす! って……

        ちょっと考えたけど、やっぱり止めた。
        これをやれば、明るさを通り越して、選挙の人か、怪しい人のどちらか
        になりそうだから……

        「うーん。病院に泊ったのは、失敗だったかな……」

        わたしは再び、今朝の出来事を思い返していた。

        予定では、玄関を開けると同時に、「ただいま」の明るいあいさつ……
        そして、普段通りを装って階段を上がる。
        そのまま、自分の部屋に逃げ込む……
        後のことは……それから考える……

        そのシナリオが、最初から崩れてしまった。

        「お帰り。有里……」

        玄関を開けると同時に、先に声を掛けたのは、お母さんの方だった。

        その瞬間、家に着くまで何度も練習した表情も……会話のネタも……
        行動も……あっという間に頭から消え去っている。
        覚えているのは、うわずった声での、か細い「ただいま」……
        ……それだけだった。

        お母さんは、それ以上、何も聞かずに出迎えてくれた。
        優しくて……愛情に満ちていて……温かい眼差しに……
        わたしは、顔を合わせることさえ忘れていた。

        「お腹すいたでしょ。朝ごはん……出来ているわよ」

        「……うん」

        テーブルには、温かいご飯に、熱いお味噌汁、手作り感のあるちょっと
        焦げた卵焼き……

        当たり前の風景……
        普段と変わりない朝食……

        それなのに……なんだろう……
        心が潰れるほど痛い。

        「……お母さん……先に顔洗ってくるね」

        ……声まで裏返っている。
        冷たい水で、潤いだした瞳をごまかして、普段通りを意識しながら席に
        座った。

        ……何を話したかって?

        ……そんなこと、覚えていない。
        わたしは、それどころではなかったから……
        朝ご飯を食べるのが、こんなに難しいなんて思わなかった……

        結局、お母さんは何も訊かなかった。
        そして、わたしを置いて先に出勤していった。

        わたしは、無言で見送りながら、自分に問い掛けていた。
        安堵感と孤独感……どちらを選ぶべきなのかと……




八月 十二日 火曜日 午前八時二十分    副島 徹也



        朝の通勤客で込み合う駅の構内で、ひとのの男が太い柱に寄り掛かって
        いた。
        上下とも高級そうなスーツに身を包んでいるが、髪型、表情から推測さ
        れる職業は、女を相手にする夜の職業、ホストを連想させた。

        その男は、時計に急き立てられるサラリーマンを横目に、ズボンの両ポ
        ケットに手を突っこんだまま、なにも持たず、なにをするでもなく、た
        だ、目を遊ばせている。

        ……どうせ、夜の仕事の後、女でも引っ掛けて朝帰りってところだろう。
        少なくとも、彼に好奇な視線を送る者には、そう見えているはずだ。

        ……半分は、当たっている。
        その彼自身も、心の内で認めた。
        ……だが、後の半分は動機からしてかなり違う。

        私は、昨日の行為を思い出し、無性に早野有里に会いたくなっていた。
        別に純粋な恋心が湧いたわけではない。
        寧ろ、その逆の意味での恋心である。

        この私の我を忘れさせた小娘……
        結果的にでも、この私が足を踏み外すのを、食い止めた小娘……

        私は、自然に頬が緩んでいるのに気が付き、表情を引き締めた。
        そして、改札口から反対方向に目を走らせると、小さくうなづいた。
        視界の端から、男の気配が消える。

        私は、自分に注がれる好奇な視線に動じることなく、駅から真っ直ぐに
        延びる大通りに、目を向けた。

        「もう、そろそろでしょうか。
        待っていますよ、私の命の恩人。可愛いお嬢様……」