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スカートの中の秘密























(二十七)


八月 十八日 月曜日 午後六時四十分  早野 有里
   


「おじさーん。並ひとつと天ぷらぁーっ」

「はいよぉ、並と天ぷら」

「有里ちゃーん、こっちまだぁ……」

「はぁーい。ただいまぁ」

夕食時とあって狭い店の中は、人、人、人の大混雑……
座席は、テーブルもカウンターも、ほぼ満席。
おまけに、窓から店の中を覗き込みながら、入るべきか悩んでいるお客さん候補も、ちらほらと……

わたしは、狭い通路をかい潜るように移動しながら、注文取りから、配膳、会計とひとりで何役もこなしていた。
もちろん、愛嬌を振りまくことも忘れていないよ。

でも、おじさんも中々やるわね。
洪水のようなオーダーをたったひとりでこなしていくんだから……
わたしも、負けていられない。

「いらっしゃいませ。ご注文は……?」

ほら、きみも手伝ってよ。
たまには動かないと、豚さんになるよ。

誰かが、活気のある飲食店は、まるで戦場みたいだって言ってたけど……
確かに最近、お客の数が増えたよね。

きっと、美少女店員が働いている『そば屋』として、噂が広まっているのかも知れないよ。
お陰で、最近のおじさんは、いつもニコニコ顔……
お給料上げてと言ったら、OKしてくれるかな。

それにしても、今日はよく混んでいるわね。
そこの人、食べ終わったのなら、お会計、済ませてよね。
外で、次のお客さんが待っているんだから……

それなのに、さっきから何よ!
わたしの足ばかり、ジロジロ見つめちゃって……!
あっ、あっちの人も、気が付けば、こっちの人まで……

そんなに、わたしの足が珍しいの……?
それとも、スカートを履いているから……?

わたしは、さりげなくスカートの裾を押えた。
別に、ミニスカートってわけじゃない。
ちょっと、ひざ小僧が見え隠れするくらいの、青色のフレアースカート……

……どう? 可愛らしく見える?

店に入ったときに、おじさんなんか……
鳩が豆鉄砲って顔で、わたしを上から下へとジッと視線を這わせるの……
そして、一言……
「いいねぇ」だって……

わたしも半年前までは、スカートを履いて通学してたんだから、特に意識しないようにしている。

ただね……テーブルを片づけるときなんかは、ちょっと気をつけないとね。
あまり前屈みになると、わたし自慢の美脚が、太ももの奥まで覗かれそうだからね。

一応、鏡の前でチェックはしてみたよ。
パンツ見えないかなぁって……
そうしたら、ギリギリセーフ……
やっぱり、恥ずかしいからね。

特に、今日のパンツは絶対に覗かれたくなかったから……

……えっ?
それならいつも通り、ジーンズ履いてバイトすればいいって……?

うん。いろいろとあってね……
そうもいかないんだ。

「ゆーりちゃん。ビール追加ね……」

「はーい」本当に今日は忙しいわね。

「それにしても、珍しいね。
有里ちゃんがスカート履いているなんて……
まあ、おじさんは嬉しいけどね」

「ふふ、たまには若い娘のお色気でも、サービスしようかなって……
これで、お店の売上アップならいうことなしだね」

「有里ちゃんもしっかりしてるねぇ。
おじさんも、ついつい注文しちゃった。
まあ、いい目の保養もできたし、若い子のパワーももらったからね。
……今晩あたり俺もカミさんと、夜のお仕事でも……クククッ」

「おじさん! そういうの女の子の前では禁句! わかった?」

私は笑顔で怒りながら、自分の手がスカートに伸びるのを我慢していた。
ここは平常心。平常心で……

さあ、あと1時間……
……がんばろう。



……やっと、終わった。
わたしは、嵐が去った後のようなお店の中を、おじさんと一緒に片付けていた。
さすがに今日は疲れたね。
なんだかいつもの倍くらい働いた気がする。

さあ、おそうじも終わったし……
普段なら、この後「おつかれさま」で、家に帰って、お風呂に入って、遅い夕ご飯をお母さんと一緒に……
でもね、今日は……



わたしはお店を出ると、母に急いで連絡を入れた。

「お母さん。わたし……有里……
あのね、今日……」

今夜は、友達の家で勉強するから遅くなります。
ご飯は先に食べていて下さいって……

また嘘をついてごめんなさい。
お母さん。有里は今晩も悪い子になります。

さあ、もうひとつのお仕事へ行くわよ。
きみも急いで……

……ん? どうしたの……?
ちょっとぉ、きみまでスカートが気になるわけ……
えっ?! 中がですって……!
…… ……
…… ……
わかったわ。きみにだけ、見せてあげる。
今日のわたしの秘密……

……誰も見てないよね。
ちょっと、スカートを持ち上げるから、チラっとね。
あまりじっくりと見ちゃ嫌だからね。

スル……スル……スル……

さあ、見てもいいよ。
…… ……?
…… ……!
……これで、分かったでしょ。
本当は、恥ずかしかったんだよ。
……でも、仕方ないしね。

あっ! 時間に遅れそう。
……きみ、走るよ。
もし、スカートがめくれそうになったら、きみが裾を押えてね。



わたしは、指示された時刻の5分前に、なんとか病院に辿り着いた。

「ふーっ、やっと間にあった……」

お店からここまで、約2キロ。
それをほぼ全力で走ったんだから、息はゼエゼエいってるし、全身は汗まみれになるし……
これからのことを思うと、気は重いし……
よく考えたら、何もいいことがないじゃない。

「早野有里様ですね。どうぞ、こちらへ……」

受け付けで、わたしを待っていたのは、マッチョの横沢さんではなく、若い看護婦さんだった。
ショートの髪をナースキャップに包み込んで、姿勢良く颯爽と歩いている。

おまけに、スタイルのいい人……
ナース服の上からでも、出るところは出てるって感じで……

わたしと違って、胸も大きいしね。
男の人が、喜びそうなエッチな身体付きかな。
……その割に、顔立ちは清純そうな感じで、そこのアンバランスさが男性を引き付けるのよね。

……いやだ。
わたし、なにを考えているんだろう。
これじゃまるで、中年オヤジの心の中みたいじゃない。

わたしは頭を振ると、若い看護婦さんの名札を確認した。

水上千里……
…… ……?!

この人って、お母さんが話してた新しい看護婦さん……?
ということは、お父さんの世話も……

やるわね、お父さんも……
でも、気を付けないと、お母さんが嫉妬するかもよ。

それにしても、わたし……この人にどこかで会ったような……?
そうでないような……?
うーん……思い出せない。

「早野様、こちらでございます」

頭の中で夢想しているうちに、水上っていう若い看護婦さんは、わたしの前から去って行った。

目の前には、1週間前と全く同じ光景が広がっている。
わたしは、大きく溜息をついた。
今日は、なにをされるんだろう。

冷静になりたくないのに、頭が冴えてくる。
なるべく、他のことを考えてごまかしていたのに、この部屋の扉を見た瞬間、1週間前の悪夢が鮮明に蘇ってきた。

きみ、行くよ!

わたしは、奮い立たせるように両腕に力を込めると扉をひらいた。



           八月 十八日 月曜日 午後八時四十分    水上 千里


「早野有里……」

私は、彼女を応接室まで案内した後、この名前をつぶやいた。
あれから、もう8年か……

人気のない暗い通路で、私の記憶が遡っていく。

私は、13歳の頃まで、彼女の家の近所で暮らしていた。
彼女、有里さんとも面識があったし、小学生の頃はよく遊んだりしていた。

あの頃の有里さんは、可愛らしい女の子というより、やんちゃな男の子って感じだったかな。
いつも公園の中を走り回っていて、あの子が人形を持って遊んでいる姿は、全く記憶がないもの。

でも、変わるものよね。
当時の面影もなくはないけど、少女というより、もう、大人の女性って感じだからね。

きっと、恋人もいるんだろうな……
私も……

ただ、あの感じだと、私のことは覚えていないって雰囲気だったな。
……ちょっと、寂しいね。
まあ、仕方ないかも……
あの時とは苗字も変わっているしね。

でも……彼女……
こんな時間に、あの部屋に何の用があるんだろう……
あの部屋は確か……

……あら?
私は、暗闇の通路に佇む人影を見付けた。

あなたは……有里さんと一緒にいた方よね。
ここで、何をしているの……?

…… ……

……うん?
有里さんの力になって欲しいって……?

よく、分からないわね、あなたの言うこと……
彼女のお父さんが入院している意外に、何か問題があるの?

確かに、彼女の父親である、早野勇さんはこの病院に入院している。
そして、彼を担当しているのは、ナースであるこの私……

あっ、ちょっと話がややこしくなってきそうだから、私のことから説明しようかしら……

私の名前は、水上千里。
21歳、独身。
今は、付き合っている男性はなし。
現在、彼氏募集中……

うん、まあこれは冗談だけど、この病院でナースをしているの。
……と、いっても、この病院に勤め出してまだ4日しか経っていないけどね。

なぜ、ここに来たかって……?

それは、いろいろあるけど……
一番の魅力は、お給料かな。
前に勤めていたところよりも、断然いいしね。

それに、ここの内科医部長をしている松山先生に、しつこいくらいに誘われて……それも理由のひとつ。
おまけに、母の介護施設まで紹介してもらって……

私の母は、若い時の無理がたたって、現在はほとんど寝たきりなの……
ここまで、条件が揃えば、まあ、決断するしかないでしょ。

でもね、今はちょっと複雑な気分……
ここは、スタッフの人数、機材の種類と、前に勤めていた病院とは比べ物にならないくらい充実しているわ。
当然、それに見合うだけの仕事も、これから要求されると思う。

私も、ナースになってそれなりに、技能は身に着けたつもり……
当分の間、仕事に慣れるまでは辛そうだけど、モチベーションを高く持っていれば、なんとかなると思う。

問題は、職種の違いかな。
私が以前勤めていた病院は、産婦人科だったの。
入院している方も、生命を生み出す若いエネルギーに満ちた、妊婦さんたち。
まあ、生命が誕生する施設ってこと……

対して、私が配属されたこの病棟は、重い内臓疾患のある患者さんばかり。

今朝も松山先生が診察をしている間、私はカルテに記されている投薬をチェックしながら、患者さんの顔色を見ていたの。

同じ入院している人でも、こうも違うものなの……?
血色の悪い肌色……
やせて、脂肪はおろか、筋肉さえも失った骨と皮だけの細い腕……

看護学校を卒業してからの3年間……
私は、病院勤務をしていながら、人の死に立ち会うことは無かったの。

でも、これがナースとしての本来の業務。
そう思っても、まだやり切れなさのある自分がいる。

……あら。ちょっと愚痴っぽくなったわね。
ごめんなさい。

あなたを見ていると、つい、話さなくてもいいことまで話してしまうわね。

まあ、安心して……
私もナースという仕事を選んだ以上、どんなことがあっても、挫けないから……
そして、ひとりでも多くの患者さんに元気になって欲しい……そう思っているの。

それで、私の抱負はもういいから、早野勇のことを知りたいって……?
……あなた、意外とドライね。

早野勇さんが、入院していることを知ったのは、勤務2日目のことだったわ。
初日は、各フロアーの見学、説明などで費やされて……
実質勤務になるこの日の朝、私は受け持つことになる患者さんのカルテをチェックしていて気が付いたの。

名前を見たときには驚いたわ。
私も小さい頃は、早野のおじさんによく面倒を見てもらったから……

私は、もう一度詳しく、カルテに記されている文字を追った。
カルテには、心臓を中心とした複数の病名が記されていたわ。

医師ではない私には、全て理解することは難しいけど、投与されている薬が保健認可外とすると、症状は相当重いのではないか?
そう思った私は、担当医である松山先生に、詳しい説明を求めたの。

でも、私と早野さんの関係を持ち出すわけにもいかないし……
あくまで、担当するナースとしての、知識を深めたいという理由で……

先生は、言葉を濁しながらも、私の考えていた答えと同じことを言ったわ。
病状は深刻……
治療費も保険が効かないと……

それじゃあ、あの親子は……
思わず顔色を変えた私に驚いたのか、先生は黙ってしまい、最後に一言……

「近い将来、あなたにも分かる」って……

今思い出しても、あの時の先生の目付きって……なんか、いやらしい。
……やっぱり思い出したくない。

確かに、初日に挨拶したときから、全身を舐めるような視線に、悪寒が走って……思ったの。

私って、上司には恵まれないタイプなのかも知れないって……
前に勤めていた所も、嫌な先輩は一杯いたけど、あれは、私の身体を性的な対象として見ていたと思う。

あっ、向こうから松山先生が歩いて来る。
噂をすればってやつかしら……

また会うことがあると思うから、ちゃんと私のこと覚えておいてね。
それと……これは私の勘だけど、この後大変なことが起きそうな気がするの。
その時は、あなたの助けも必要になるかもね。

……それじゃ、またね。



私は、軽く会釈して先生の横を通り過ぎようとした。

「あ、そうだ水上さん。
今週の金曜日なんだけど、予定を空けておいてくれないかな。
……ちょっと、相談しておきたいことが、あるんでね」

私は薄暗い廊下で、先生の目が怪しく輝くのを見逃さなかった。
なによ、その目……
この人……変なこと企んでいないでしょうね。

「金曜日ですか……
シフトを確認しないとなんとも言えませんが、空けておくように努力します。
それで……何のお話でしょう」

「申し訳ない。ここではちょっと……」

先生は人目を気にする素振りを見せながら、さりげなく私を見下すように見つめた。

「とにかく、その時になったら、私の診察室まで来なさい。
これは、君にとって大切なことだから……」

「大切なこと……?」

「そう……君の一生を左右するほどの重大なことです。
もし、来ないときは、あとで、相当後悔することになるかもしれませんよ。
……と言うのも、君にとってはナースの職業さえ失いかねない大事な話ですからね。
クックックックッ……待っているよ……」

松山先生は、半分脅しのように話すと、有里さんのいる応接室の方へ歩き出した。

……一体、どうなっているのよ。
この病院にいられなくなるって……

私の脳が警戒信号を発している。
これは、何かの罠だと……危ないって……

でも……行くしかなさそうね。
まだ、ナースとして働きたいもんね。

それにしても、有里さん。大丈夫かしら……?

私は、もう一度、応接室に戻ろうとしたけど、どうしてなのか身体が動かなかった。
そこに行けば、またひとつ足枷が増えると、誰かが警告していた。



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