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ありさ 割れしのぶ  第四章



  
                                          


【第四章】


        
        その後も丸岩は週に一度ぐらい、ありさを座敷に呼び夜を共にした。
        逆らってもどうしようもないさだめなら、いっそ従順に努めてみようと、
        ありさは決心したのだった。
        だが、そんな矢先、ひとつの出来事が起こった。

        ありさは女将の使いで、四条烏丸の知人の屋敷へ届け物をした帰りのこ
        とだった。
        届け物も無事に済ませたことを安堵し、小間物屋の店頭に飾ってあった
        貝紅を眺めていた。

        「やぁ、きれいやわぁ~・・・」

        ありさは色とりどりの貝紅に目を爛々と輝かせていた。

        その時、何処ともなくありさを呼ぶ声が聞こえて来た。

        「ありささん」

        若い男性の声である。

        (だれやろか・・・?)

        ありさが声のする方を振り向くと、そこには少し前におこぼの鼻緒をな
        おしてくれた学生本村俊介の姿があった。

        「あれぇ~、お宅はんは、あの時の~。その節は鼻緒をなおしてくれは
        ってありがとさんどしたなぁ~」
        「いいえ、とんでもないです」
        「あのぅ・・・」
        「はい、何か?」
        「今、確か『ありさ』ゆ~て呼んでくれはりましたなぁ~?」
        「ええ、そうですが。違ってましたか?」
        「いいえ、そやおへんのや~、おおてたよってに嬉しかったどすぅ~。
        よう憶えてくれたはったなぁ~思て。お宅はんは確か『本村俊介』ゆ~
        お名前どしたなぁ~?」
        「ありささんこそ僕の名前をよく憶えてくれているじゃないですか」
        「そんな~ん~、そんなん当たり前どすがなぁ~。そやかて困った時に
        助けてくれはったお方はんのお名前忘れたら、バチ当たりますがなぁ~」
        「いやあ、困ったなあ。僕は当然のことをしたまでですよ」

        ありさは俊介と言葉を交すうちに惹かれて行くものを感じずにはいられ
        なかった。
        花街で大金を使い遊興する男たちのようなどす黒い欲得など微塵も見ら
        れない。
        彼の持つ実直で清廉な態度は、ありさに強い衝撃と印象を与えた。

        「ところで今お忙しいですか?もし時間があればお茶でもいかがです
        か? ちょっと行ったところに甘味処があるのですが、甘いものはお嫌い
        ですか?」
        「甘いもん?だ~い好きどすぅ~!」
        「ははは~、じゃあ決まった」

        「おこしやす~」

        ふたりは甘味処ののれんをくぐり、向い合って座った。

        「ありささんは何がいいですか?」
        「そうどすなぁ~、暑おすさかいに~かき氷いただきまひょかなぁ~?」
        「僕もそうしよう。氷ぜんざいにしようかな」
        「ほな、うち、宇治金時にしますわぁ~」

        かすりの着物を着て襷をした娘が注文を取りに来た。

        「おこしやす~、注文お決まりやすか?」
        「宇治金時と氷ぜんざいをもらおうか」

        本村が答えた。
        店の娘は注文をすぐに反復し、去り際、本村に声を掛けた。

        「ほんま、きれいな舞妓はんどすなぁ~」

        本村はどう言葉を返したものやら狼狽した様子だったが、咄嗟に口をつ
        いて出た言葉は・・・。

        「そうでしょ?僕もそう思ってます」

        俊介の言葉に、ありさはポッと頬を赤らめた。

        「そんなこと言わはったら照れますがなぁ~」

        店の娘は俊介に言葉を続けた。

        「こんなきれいな舞妓はんが彼女どしたら、鼻高々どすやろなぁ~?」

        「ええ、もう天狗ほど鼻が高いです。ははは~」
        「本村はん、ようそんなこと・・・。うち恥ずかしおすがなぁ・・・」

        ありさは先ほど以上に頬が真っ赤に染まっていた。

        先程からそんなやりとりを伺っていた店主らしき男がやって来て、店の
        娘を叱り始めた。

        「これ、お客はんに失礼なことゆ~たらあきまへんがな。早よ、謝り」

        そして店主はふたりにぺこぺこと頭を下げて、

        「うちの娘、失礼なことゆ~てすまんどすなぁ」
        「いいえ、気にしてませんよ。ねえ?ありささん?」
        「はぁ・・・、そのとおりどす・・・」

        そんな些細な会話であったが、ありさはとても嬉しかった。
        (本村はん、うちのこときれいて思たはるんや。鼻高々やゆ~てくれは
        ったし・・・)

        俊介はありさに尋ねた。

        「舞妓さんって、とても華やかだけど、結構大変なんでしょう?」
        「はぁ、そうどすなぁ~、踊り、三味線、お琴、お茶その他、お稽古事
        ばっかりの毎日どすぅ・・・」
        「座敷にも上がったりするんですか?」
        「はぁ・・・、一応芸妓はんが主やけど、舞妓のうちらもお座敷にはた
        まにあがりますぇ」
        「そうなんですか」

        お座敷の話に移るとありさの口は重くなった。
        俊介はありさの心情を敏感に察し、すぐに話題を転じた。
        そして再び話は弾んだ。

        「本村はんは大学で何勉強したはりますのん?」
        「法律です」
        「へ~ぇ、そうどすんかぁ~、ほな、将来は政治家にならはるんどすか?」
        「大望は抱いてはおりますが、夢のような話ですよ」
        「本村はんは、どこに住んだはるんどす?」
        「ええ、堀川・蛸薬師で下宿をしています。汚い所ですが良かったらい
        つでも遊びに来てくださいね」
        「やぁ、嬉しいわぁ~、ほんまに行ってもよろしおすんかぁ~?」
        「休みの日にでもぜひ来てくださいね」
        「ほな、今度の日曜日行ってもよろしおすかぁ?」
        「ええ、もちろんです。待ってますよ」






野々宮ありさ
 





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