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舞衣の贖罪























(三十一)


八月 二十一日 木曜日 午後三時  吉竹 舞衣
   


「あの、早野 勇さんのお見舞いに来たんですけど……部屋番号を教えてもらえないでしょうか?」

「では、この書類に住所とお名前をご記入ください」

B5サイズ程度の紙に、指定された項目を記していく。

「えー、早野さんなら、入院病棟の6階、604号室です」
ここのロビーを出られて、西側の建物になります」

書類を提出したわたしに、総合インフォメーションと記されたコーナーの職員さんは、親切に対応してくれた。
わたしはお礼を言うと、花束を手にロビーを後にする。

教えてもらった病棟はすぐに見つかり、わたしは入り口で暫く立ち止まった後、エレベーターへ向かった。

あら、また会ったわね。
あなた、有里と一緒にいなくていいの?
…… ……
……そう。
だったら、わたしに付き合ってもらっていいかな。
話したいこともあるしね。



「確か、6階だったよね……」

わたしは、フロアーを示すランプが上昇するに従い、早打ちする鼓動を押えられずにいた。

落ち着いて、舞衣。
これが、あなたの望む贖罪の第一歩なのよ。

自分に、何度も言い聞かせてみる。
でも……心が折れそう。

あなた、わたしの心を支えてもらえる?
…… ……
……ありがとう。
それじゃあ、わたしのためと思って、少しの間、聞いててね。

昨日の電車内での出来事は、あなたも知っているでしょう。

わたしも驚いたわ。
だって、有里と千里さんが突然、目の前に現れたんだから……
しかも、事態は切羽詰まった感じで……

わたしは、咄嗟の機転で、携帯を鳴らしてふたりを救い出そうとした。
そうして、気が付いたときには、3人一緒にホームに立っていたの。

怖くて恐ろしくて、肩がブルブル震えたけど、神様はそのお礼に、素晴らしいプレゼントを送ってくれたわ。
わたしと有里は、駅の1階にあるカフェで、千里さんにケーキをごちそうになったの。

えっ、そのことがって……?

……うん、それもあるけど……

わたしが嬉しかったのは、有里と一緒にケーキを食べたこと……
彼女とは一言も話せなかったけど、夢のような時間だった。
おかげで途中、何度も涙が出そうになったけどね。

そして、もうひとつ、千里さんに出会えたこと……
世の中に、こんな素晴らしい女性がいるなんて思わなかった。
だって、こんな幸せな機会を提供してくれたんだから……

でも、不思議……
彼女には、あのとき初めて会ったのに、なぜか他人のような気がしなくて……
わたし、千里さんのことを、実のお姉さんにように思うようになっていたから……

それでかな……
千里さんに、有里と早く仲直りすることを諭されたような気がしたの。
そう、千里さんの目が、そう訴えていた。
それに耐えうるだけの勇気も、わたしはもらった。

ありがとう、千里お姉さん。
あなたに会えたおかげで、わたしは、一歩踏み出せそうだから……

……うん? まだ、隠していることがあるって……?
あなたは、全てお見通しって感じね。

これは、有里には内緒にしてね。

実はね。昨日、千里お姉さんや有里に会ったのは偶然じゃなかったの。
わたしは、有里に気付かれないように、後をつけていた。
理由は……あなたも知っているてしょう。

あの時もそうだった。
だからわたしは、有里の姿を追いながら、隣の車両から彼女を見つめていたの。
そうしたら……あとはあなたも知っているとおりよ。

ただ、ちょっと気になることがあって……

ふたりが飛び込んで来る前から、わたしの向かい側で、ビデオカメラを使って何かを撮影している人がいたの。
物凄く体の大きな人だった。
顔はよくわからなかったわ。
サングラスを掛けていたからね。

それとあの3人組……
電車の中から、笑ってこっちを見ていた気がするの。
まあ、気のせいかもしれないけど……

……どうしたの? まだ、隠してるって?

ふーぅ。あなたには、かなわないな。
全部、話してあげるわ。

わたしね、心の中では、贖罪するんだって思っていたけど、何ひとつそれらしいことが出来ない自分に苛立っていたの。
具体的に有里と家族の人たちに何をすべきなのか?
それさえ見付けられずに生きている自分に、憎悪さえ抱いた。

ふふふ……身勝手でしょ。
あなたも、そう思うでしょ。

そんなわたしに、千里さんはきっかけを教えてくれた。

だからわたしは、一晩考えた末に、有里のお父さんのお見舞いに行くことにしたの。
もちろん、このことは家族には内緒。
これは、わたしの問題だから……

ね、これでわたしが、ここにいる理由がわかったでしょう。



エレベーターの扉がひらくと、6階のフロアーに降り立っていた。

廊下の壁に贖罪すべき名札を見付けて、心がまた折れそうになる。

「失礼します……」

控えめな声のわたしを、病院独特の消毒液の匂いが出迎えてくれた。

ドクッドクッって、また心臓が高鳴り始めてる。
知らず知らずのうちに、呼吸もしずらくなっている。

わたしは、気持ちを落ち着かせようと、室内を見渡した。
西日を避けるためか、ブラインドの下がった部屋は、昼間だというのに薄暗い。
そして、一目で見渡せる病室には、わたしと、静かに寝息を立てている有里のお父さんだけ……

あっ、そうだ。

花束を握り締めたままのことを思い出したわたしは、花瓶を探そうと、おじさんに背を向けた。

舞衣、何をやっているのよッ!
もう一人の自分が、急かしている。

わたしは、自分の犯した罪から、本能的に逃げようとしていた。

とりあえず、花束を棚の上に置いたわたしは、重くなった身体を引きずるように医療ベッドの脇に立った。

「…… ……
……おじさん、わかりますか?
わたしです。吉川舞衣です。
有里さんの友だちだった吉川舞衣です。
気を悪くされるかもしれませんが、わたし……おじさんに会いにきました。
ですから、しばらくの間、ここにいさせてくださいね。

ところで、お身体の具合はどうですか……?
……よく……ないですよね。
これ、言い訳になるかもしれないけれど、わたし……おじさんがこんなに苦しんでいるなんて知りませんでした。
謝って済むことじゃないですよね。
本当にごめんなさい。

父がおじさんにした仕打ちは、わたしが心からお詫びします。
有里さんが、わたしを憎む気持ちもよくわかります。
でも、今でもあの人は、なんの反省もなく生きています。
それが、当然とばかりに……
わたしは、もう、あの人を父とは思っていません。
あの人は、人間の顔をした鬼。
そして、わたしは、鬼の娘。
だから、父の罪をわたしなりに償いたいんです。
これから、わたしの一生をおじさんと家族に捧げるつもりです。
そして、有里さんはどんなことがあっても、守ってみせます。

あの、怒らないで聞いてくださいね。
昔、おじさんの家にお邪魔するたびに、わたしに言いましたよね。
『有里をこれからも、よろしく頼む』って……
あの時は、よくわからずに返事をしていたけれど……
お願いします、おじさん。
もう一度、このわたしに仰っていただけますか。
『有里をこれからも、よろしく頼む』って……
…… ……
あ、無理しなくていいですよ。
わたしは、おじさんに会えただけで、充分にこれからの勇気をいただきましたから……

ちょっと話しすぎましたよね。
ごめんなさい
あの、これからも顔を見せて構いませんか……
勝手と思われるかも知れませんが、わたしのわがままだと思って下さって結構ですから。
それでは、またお話をさせてください。
今日はごめんなさい」

話し終えたわたしを、嗚咽が待っていた。
でも、よかった。
病室に誰もいなくて……

わたしは、眠っているおじさんの顔を覗き込んでから、履いている靴を脱いだ。
そして、両手両ひざを床につけて、目をつぶり頭を下げた。

許してください、おじさん。

わたしは、何度も何度もささやくようにつぶやいた。
ポタっポタって水滴が床に落ちる音が聞こえる。
謝罪で涙なんてずるいけど、今だけは許してね、おじさん。



どれくらい、そうしていたのかな。

カチャッっていう扉のひらく音と、「早野さん……」でピタっと止まった女性の声に、わたしの謝罪のささやきが中断した。

「ま、舞衣さん、なにをしているのよっ?!」

驚いた様子でわたしに近寄った女性は、ナース姿の千里さんだった。

顔を上げたわたしを見て、更に驚いた顔をしている。
でも、わたしも驚いていた。
まさか、千里さんが、おじさんの看護をしていたなんて……

「なにも言わなくていいから……」

そう言うと、千里さんは自分のハンカチで、わたしの顔を拭いてくれた。
そして、窓際に丸椅子を置くと、わたしを座らせた。

「ごめんなさい。驚かせて……
わたし、有里のお父さんに、どうしても会わなければいけないと思って、ここに来たんです」

「はーぁ、やっぱり……
あなたと有里さんの間には何かあるのね。
昨日、会ったときもお互いぎこちなかったから……」

やっぱり、千里さんは、気が付いていたんだ。
わたしと、有里のこと……

「もう、しょうがないわね……
ひと肌脱いであげるわ。
私のこと、お姉さんだと思って、全部話しなさい。
話の内容によっては、いい答えが見つかるかもしれないからね」

「……わたし……わたし……」

千里さんが、せっかく顔をきれいにしてくれたのに、また、涙が溢れてくる。
わたしは声を詰まらせながら、今までの経緯、今のわたしの気持ち、その全てを話した。

千里さんは時折うなづきながら、じっとわたしの目を見つめて、話に耳を傾けてくれた。

「……よく話してくれたわね。
辛かったでしょう、舞衣さん。
あなたの気持ち、私にもよーくわかるわ。
私も……ううん、今は舞衣さんの今後のことだよね」

しばらくの間、千里さんは、窓の外を眺めるようにして、じっと黙っていた。
そして、考えがまとまったのか、わたしに微笑みかけるようにして、口をひらいた。

「……確かに、あなたが罪の意識に悩みながらここまで生きてきたことには、私も同情するわ。
でもね……
もっと割り切ったほうが、楽じゃないかしら」

「……割り切る?」

「そう。罪の意識を片隅に残しておいて、普通の18才の女の子らしく、あなたの有里さんに対する思いをぶつけてみるの。
すぐには、できないと思うけど、ゆっくりとそういう努力を続けていけば、有里さんもきっと心をひらいてくれると思うから……」

「わたしにできるかな?」

「大丈夫。舞衣さんなら、きっと……」

わたしは、千里さんにお礼を言おうとして立ち上がった。
その時……?!

カチャッ……!!

病室の扉がまたひらいて、今度は元気な女の子の声が響いた。

「お父さん、お見舞いに……?!
ぇぇええッ……どうして……どうしてここに、あなたがいるのよッ!」

入ってきたのは、有里と有里のお母さんだった。

「あなたッ、どういうつもりよォッ!
今すぐ、ここを出て行きなさいよッ!
早く出て行ってよォッ!」

有里は、窓際のわたしたちの元へ駆けよると、今にも掴み掛りそうな勢いで、わたしを睨みつけている。

「有里、落ち着きなさい……」

「お母さんは、黙っててッ!」

ヒステリックに叫ぶ声に、室内がシンとする。
わたしは、彼女の後ろで声を失い立ちつくすおばさんに、目で軽く挨拶すると、震える声で話しかけた。

「ごめんなさい。わたしが悪かったわ。
有里。あなたの気に触ることをして、本当にごめんなさい。
ただ、わたし……
有里のお父さんのお見舞いを、どうしてもしなくちゃいけないと思って、ここに来たの。
だから、許して。
お願い有里……」

「有里、有里って……ッ!
何度もわたしの名前を呼び捨てにしないでよッ!
友だちでもないあなたに、呼ばれたくないのよ。
さっ、出て行ってくれる……」

わたしは、有里に何度も頭を下げて、部屋を出て行こうとした。

「待ちなさいよォッ!」

振り返ると、棚においたままになっていた花束を、有里が指さしている。

「このゴミも一緒に、持って帰ってくれる」

「有里……」

千里さんの言葉に少し希望が見えかかったけど、やっぱり幻想だったみたい。
そうよね。これが現実よね。
わたしは、有里の言うゴミを取ろうと手を伸ばした。

「ストォップッ……!」

窓際から、誰かの声がした。

「ここは、病室なのよ。
あなたたち、そのことわかっているの?
ここで、大きな声を出すことは、ナースである私が許さないから……」

「でも、千里さん。
舞衣がここに来るから、こんなことに……」

「有里ッ、黙りなさいッ!
……ちょっと、ふたりに話があるから付いてきなさい。
さあ、有里! 舞衣!」

驚いた。千里さん、こんなにしっかりしているんだ。
わたしは、同じようにあっけに取られている有里と一緒に、千里さんの後を追いかけた。



10分後、わたしたち3人は、病院内にある喫茶室にいた。
向かい合うように、千里さんが、そして、わたしの隣に有里が座っていた。

有里は、さっきからずっと、頬を膨らませながら目を泳がせている。
彼女がこういう表情をするときは、怒りが収まりかけて、ちょっと後悔しているとき……
わたしは、長年の付き合いで、有里の表情から大抵の感情は読み取ることはできる。
別に彼女の性格が単純って訳ではないけどね。

「ちょっと、驚かせちゃったね。
でも、あそこで騒がれて患者さんに何かあったら、私の管理責任が問われるのよ。
……どうしたの? 以外そうな顔をして……」

「いえ。てっきり、わたしと有里……さんのことを気遣って言ってくれたのかと……」

「ふふっ、これが大人の言い訳ってやつ。
嫌いでしょう。こんな言い方……
じゃあね、私の本心で言ってあげる。
さっさと、こんなつまらない意地の張り合いは、おやめなさい」

「つまらないって……千里さん、ひどいよぉ……」

有里が、わたしから顔をそらしながら、拗ねたような声を出した。

「有里には悪いけれど、大まかな話は舞衣から聞いたわ。
確かに、舞衣のお父さんはひどい人かもしれない。
でも、それと舞衣さんは関係ないじゃない。
血は繋がっているけど、ただ、それだけの関係……
人にはそれぞれ、確立された個性があるの。
舞衣さんには、舞衣さんの……
お父さんには、お父さんの……
それぞれをはっきりと区別していかないと、家柄だとか、国籍だとか、ツマラナイものに囚われてしまうわよ。
今は、まだ、お互いにわだかまりがあると思うけど、ゆっくりとでいいから、解きほぐすべきだと思うわよ」

千里さんは、そう言うと、わたしと有里の両方に視線を合わせて、納得させるようにうなづいた。

「あの、千里さんは、どうして、わたしや有里さんを気にかけてくれるんですか?」

「うーん。ふたりが可愛い私の妹だから……これで、どう?」

わたしは、くすくすって笑った。
隣を見れば有里もくすくすって笑って、目があって笑うのをやめた。

「業務連絡、水上千里さん。至急、入院病棟6階のナース室まで……」

まだまだ続いて欲しかった幸せな時間に、突然の院内放送が終わりを告げた。

「あっ、さぼっているのが、見つかっちゃったかな。
私、もう行かないと……
怖ーい婦長さんが、角を出していそうだからね。
それじゃ、私の妹たち。仲良くしてよ……」

千里さんは、慌てて席を離れた。
わたしは、彼女を見送りながら、胸の中でそっとつぶやいた。

ありがとう、お姉ちゃん。



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