(14) やったね。お父さん、お母さん。
(んぐごぉっ、ば、ばかな……)
(お、おのれぇ……人間ごときにぃ……ふがぁっ)
間近に迫った鬼たちの無念そうな声が聞こえた。
一千の鬼たちが、たったふたりの霊媒術師の前に全滅したのだから。
「はあ、はあ。終わったのね……あなた」
全身で呼吸しながら、お母さんがお父さんを見上げた。
「ああ、おそらくな……」
お父さんも肩で息をしながらお母さんの方を見つめようとして……その動きが止まった?! なんなの?
楽観が不安に置き換わっていく。
聞こえない何かを感じとろうと、お父さんは目を閉じて眉間に指を押し当てている。
「んんっ?! そんな筈は……バカな!」
緩み始めていた顔が、みるみるうちに緊張の色に包まれていく。
ううん、緊張を通り越して白い肌を青白く染めた悲愴な表情に変化している。
「どうしたのです?」
問い掛けたお母さんも同じだった。
見上げた表情に危機を察したのか、顔から笑みが消えた。
「卯と酉の方位からだ。新たな敵がそれぞれ一千。
それにこの悪気は……?! ……有り得ない。あり得ないが……阿傍と羅刹?
そうか、あ奴たちが指揮しておったか、ふっ、どおりで……」
「あなた、それでは先ほどの一千鬼団は、囮と……?」
「ああ、そういうことだ。我らの霊力を消耗させるためのな。
そして、弱まった我らを確実に仕留める。
ふっ、伝説に聞く地獄の鬼、阿傍と羅刹。バカではないようだな。……できるか? 三鈴!」
「はい、あなた。たとえこの身が滅びようとも……
ただ、あの子が。神楽が不憫で……」
お母さんは社の端にある母屋を見ている。わたしの身体が寝ている方をじっと。
その能面のように強張った瞳からは涙が零れていた。
でも何もできない。傍観者のわたしはただオロオロと見ているだけ。
「神楽のことか……はは、心配するでない。
あの子には守がついておる。我が片腕、狛獅子守がな。
……それよりも、早速のお出ましのようだな」
お父さんが卯の方位、東の空を睨んだ。
背中合わせにお母さんが酉の方位、西の空を睨みつけた。
それぞれが宝器を手に身構える。
その空の彼方に異形の鬼の大集団が姿を現した。
未熟なわたしでも感じる。ものすごく大きな邪悪な気の集まり。
そしてその中央、百体ほどの邪鬼に囲まれた巨大な鬼がいる。
全身を醜い瘤の筋肉に覆われ、牛の頭をした鬼と、漆黒の肌に伸び放題の深紅の髪をした鬼。
挟み打ちのように迫るその鬼たちがニヤリと笑った。血走った眼で見下ろした。
たぶんこれが、阿傍と羅刹? 怖いよお父さん。
地面にふわふわと降り立ったわたしは、山門の陰に隠れた。
「いくぞぉっ、はあぁぁぁッッ! 邪鬼斬滅っ!!」
「涼風の御魂よ、我に力を! 邪気鏡殺陣!!」
左右に駆ける光の弧と光の帯。
敵の集団が接近する前に数を減らそうと先制攻撃を仕掛ける。
でもその光は、あきらかに衰えている。ふたりの息遣いに比例するようにパワーが落ちているんだ。
シュビッ、シュバッ、シュブッ……グシャッ! グシュッ!……
お空の端どおしで巻き上がる光の閃光と爆発。
それでも百体以上の人間の一部と化した鬼が切断される。粉微塵に吹き飛んでいる。
「まだまだぁっ! 邪鬼斬滅っ!!」
「はあはあ、邪気鏡殺陣!!」
荒い息の中、お父さんが魔剣を振り下ろす。
ふらつく身体を支えながら、お母さんが鏡を構える。
幾筋も飛び交う、激しい爆発と光の渦。その中でまた百体ほどの鬼が吹き飛び消されていく。
でもそんな犠牲を気にすることなく、邪気の群れは急接近してくる。
「ほう、人間にしてはよくやる。さすがは四巡。いや、輪廻の霊媒術師とお呼びしようか。
……確かに、通り名に偽りはないようだな。よう、阿傍」
「ふんむ。だがな……ふぐぐぐっ、所詮は人の子。この程度の霊力で我ら鬼族に逆らおうとは。
がははははっ、久しぶりに愉しませてもらうぞ」
吹き寄せる爆風を難なく払いのけた2体の鬼は、右手を軽く持ち上げさっと引いた。
混乱しかかった邪鬼の群れが、瞬時に陣形を整え槍のように一直線に襲いかかってくる。
早い! もう間に合わないよ!
ブシュッ、シュパッ、シュバッ!
刀を自在に操り、お父さんは迫る敵を一体ずつ切り倒していく。
背後のお母さんは、鏡を反射させては援護するように残る敵を粉砕する。
「くっ、させるかぁッ! はあぁっ!」
「はあ、はあ……あなた、左っ!」
でも切りがない。
怖い鬼たちが見守る中、何百という人の腕が足が、まるでふたりを弄ぶように襲い掛ってくる。
あっ! お父さんの肩に4本の腕がぶら下がってる。
動きを封じられて、その間に足だけの鬼が折り曲げたひざを鳩尾のあたりに打ち込んできた。
「うぐぅっ、ごほっ!」
苦しそうな声とともに、お父さんの身体が前に倒れる。
それと連係するように、今度は別の手足の鬼がお母さんに襲い掛ってくる。
「ひぃっ、い、いやぁっ。放してぇ、離れてぇっ!」
哀しい悲鳴とともに、鏡を持つ手が力を失いだらりと落ちる。
その両肩を男だった手が押さえ付けている。
腰のあたりに男だった足が絡み付き、地面に引き倒される。
足首を別の2体の腕が左右に引っ張り、白い襦袢を更に白い太ももを露出させる。
(お、女だ……ぐふぐふ)
(しかも、こんな上玉に巡り合えるとは……)
(誰か早くこの女を引ん剥いてくれや。くそぉ、わしにも腕があればぁ……)
「おのれぇ、邪鬼どもめがぁっ! 三鈴、三鈴っ!」
「あ、あなた……い、いやぁぁっ、んむぅぅぅぅっ」
引き離されて肢体を拘束されたまま、それでも目の前に迫る鬼を切り捨てるお父さん。
でもその先では、無数の鬼たちがお母さんに取り付いている。
鬼の手がエッチに蠢いている。
やめてぇ! もう、やめてよぉっ!
わたしは飛び出していた。
お父さんに殴りかかろうとしている腕だけの化け物にしがみ付こうとした。
お母さんの口を塞いでいる頭を取り除こうとした。
でも……身体が空気のように通り過ぎていく。
夢を見ている神楽には何もできない。誰も神楽に気付かない。
そう夢。これは怖い怖い夢なんだ。
だったら……だったら、終わって欲しいこんな悪夢。
でも、起きるのはもっと怖い。なぜかな? そんな気がする。
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