(13) それは忘れもしない、今から5年前のこと……
当時中学生だったわたしは、運悪くインフルエンザにかかってしまい、自分の部屋で寝込んでいた。
40度近い熱が3日くらい続いて、お母さんが一生懸命看病してくれていたのを今でもはっきりと覚えている。
そして、ようやく熱が下がり始めて薬のせいでうとうとしかけていた時、あの不幸な出来事は突然のように襲いかかってきた。
「三鈴……ちと来てはくれぬか?」
遠慮がちにドアを開かれ、お父さんが顔を覗かせた。
でもその顔に、いつもの柔和な微笑みも、どこまでも落ち着き払った瞳も存在しない。
あるのは、焦りと苛立ちに満ちた表情。余裕って文字を忘れた神楽の知らない瞳。
「神楽、ちょっと待っててね」
お父さんの表情に何かを察したお母さんも顔を引き締める。
そして、わたしの肩口まで布団で覆ってくれると立ち上がり、ドアの所で振り向いた。
「お薬苦いけど、ちゃんと飲むのよ」
とっても優しい笑顔だった。とっても安心できる目をしていた。
でもなぜかな? お母さんの瞳、暗く沈んで。2度とその瞳と会えない気がして。
それなのに呼び止めちゃいけないって、誰かが囁いて。
ドアが静かに閉まる。
階下から張り詰めたふたりの声が聞こえて、わたしは睡魔に襲われていた。
ふわふわと波間を漂うように……
「よりによって守がおらぬ隙を突くとは、あ奴らにしてはやりよる。まして今夜は……」
「ええ。魔がその力を最も増すといわれる満月の夜。
それであなた、攻めてくる邪鬼の数はいかほどに?」
「うむ。それなんだが……我が張った外輪結界を突破したモノおよそ一千とみる。
おそらくは相当の手錬れが率いているに相違あるまい」
「い、一千……で、ございますか……まさかあの一千鬼団……
では、いよいよ言い伝えが現実のものに……?」
「ああ、運悪く我が代においてな。
現世を侵略する足掛かりとして、まずは四百余年に渡り守護してきたこの封魔護持社を壊滅させる。
その上で闇に乗じて新たな棲みかを手に入れるつもりであろう。
ふっ、あ奴らも陽の当らぬ地底生活に飽きてきたやもしれん。永久に変わることのない黄泉の獄にな」
「でも、それだけは我らが身に賭けても阻止せねばなりませぬ」
「うむ、よく申した三鈴。それでこそ我が妻。しからば頼むぞ」
「はい、あなた」
ここは……?
わたしはお父さんとお母さんの声を頼りに周囲を見回した。
歩いてはいない。飛んでいる? たぶん夢だから。
あっ、この桧皮葺の大屋根って、わたしとこの……本殿だよね。涼風の社の。
その先が広~い境内で、そのまた先に大きな山門があって。
ふ~ん、空から見るとこんな感じなんだ。まるで航空写真みたい。
それでお父さんとお母さんは、どこかな?
……見つけた! ふたり並んで立っている。
白銀色の絹で織られた上衣に、紫紋入りの紫袴を身に着けているのはお父さん。
お母さんは、白衣と呼ばれる白色の着物に、真っ赤な緋袴姿をしている。
わたし、初めて見たかも。
ふたり揃ってこの衣装を身に着けている姿なんて。
あれ? どうしてわたしの方を見ているのかな?
ううん、見ているというより殺気だった目で睨みつけている。
わたしを? 違う。もっと遥か上空を……闇に染まった汚れた空間を……
「不動にして不変の星よ。我に力を……我に屈せぬ御霊を……」
息の合った乱れのない詠唱。しばらくの沈黙。
そして……
「来たぞ!」
お父さんの両目がぐっと見開かれて、右手が流れるように半円を描いた。
漆黒の鞘から引き抜かれる真っ白な輝きを放つ直刀『隠滅顕救の剣』
隣ではお母さんが、舞を舞うようにしなやかに身体を一回転させる。
その頭上に掲げられているのは、春夏秋冬家の宝器『観鬼の手鏡』
手鏡に反射した青白い光が、サーチライトのように夜空を照らしだす。
闇に紛れながら涼風の社に急接近する集団を……!
(グゴゴゴォッ! グゲゲゲゲッ!)
両腕だけのモノ。両足だけのモノ。頭だけもあるし、切断された胴体に羽根が生えたモノだって。
あっ、こっちのは男の人のおち……いや、言えない。
でも何体いるんだろう?
100体? 200体? ううん、もっともっとたくさん飛んで来る。
群れをなして夜空の星々が覆い隠されるくらいに。
それに視線を合わせたまま、お父さんは天を突くように剣を掲げた。
「はあぁぁぁッッ! 邪鬼斬滅っ!!」
そして、気合とともに真上から一刀両断に振り下ろされる魔剣。
見えない大気が切断される。見えない空気が渦を巻く。
剣先から発した衝撃波は白銀の三日月を描きながら宙を突き進んでいく。
すごい。なんなの?! 三日月がどんどん大きくなっていく。
刃長だった剣波はグングンとその長さを増していき、更にその速度に磨きをかける。
やがて夜空を断ち切るかのように成長した三日月は、そのまま邪鬼の群れの中心を切り裂いていく。
シュビッ、シュバッ、シュブッ……!
悲鳴を上げる間もなく燃え上がり消滅する鬼たち。
腕が切断され足に火が付き、頭がのたうち回る。
敵陣の奥深く切り込んだ光の弧はその輝きを凝縮し、果てるように大爆発を起こす。
まるで人工の太陽。暗闇がお昼間のように白く照らし出されて……
剣を振り下ろしたままのお父さんが叫んだ。
「今だ! 三鈴っ!」
お母さんによって、頭上高く掲げられた春夏秋冬家宝器、観鬼の手鏡。
その丸い鏡面が四散した眩い光を吸い込み、残すことなく飲み込んでいく。
闇に戻った世界で鏡だけが太陽のように輝きを放ち、その中を生き逃れた邪気の群れが長い帯のように拡がり襲い掛ってきた。
ざっと数えて5百体くらいの人体の一部たち。
それが恨み妬み憎しみといった負を増幅させた邪気を伴ってものすごい速さで急降下してくる。
「涼風の御魂よ、我に力を! 邪鬼鏡殺陣!!」
いつものお母さんと違う、感情のない冷たい声がした。
同時に掲げられた鏡が、天空に線を引くように右から左へと流れていく。
無風の世界につむじ風が立ち、捲り上げられた緋袴から白い肌襦袢が、白い素足が露出する。
グシャッ! グシュッ! グシュグシュ……グギャァァァァッッ!
急拡大した男の下半身が砕け散る。隣では真っ赤な舌を突き出した頭が粉微塵になっている。
鬼たちが作る長い帯がそれを上回る巨大な光の帯に吸収され、砕かれていく。
それはまるで天空を流れる天の川。
そうよ、邪悪なモノたちを滅し消し去る聖なる河。
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