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謎の男と舞衣 有里の苦悩























(五)


七月 二十五日 金曜日 午後九時  早野 有里
  


        「♪♪……2番ホームに下り○○行き、快速電車が入ります……」

        駅のホームにアナウンスが響き、銀色の車体が金属をこするブレーキ音
        を立てて滑り込んでくる。
        わたしは列の後方からガラス越しの車内を覗いてみた。

        ……まあ、いつもと同じかな。

        程程の込み具合を確認しながら、前の乗客と隙間を開けずに車内に入る。

        いつもの時間に、いつもの電車……
        それに、いつもの場所はと……空いてる。

        ホーム側から入って向かい側の扉横のスペースが、わたしのお気に入り
        の場所。
        目的地までの約30分間、線路側にあたるこの扉がひらくことはない。

        ……つまり、ここは私だけの快適な空間ってこと。
        もちろん座席はないけどね……

        ほんのわずかな時間に多くの乗降客を入れ替え、エアー音を鳴らしなが
        ら扉が締まる。
        そして電車は、低いモーター音を響かせながらゆっくりと滑るように動
        き出した。

        わたしは車内が落ち着くのを待ってから、バッグに入れてあるヘッドフ
        ォンを取り出しお気に入りの曲を聴き始めた。
        身体を壁に預けて瞳を閉じ、誰にも邪魔されずに好きな音楽を聴く。

        そう。わたしにとって一番リラックス出来るのはこの時間だったりする。
        なんだかんだ言っても最近の生活リズムって、結構ストレスが溜まるの
        よね。

        ……ちょっと、きみ。
        その目は何よぉっ。
        能天気なわたしにストレスが存在するのかって……?!

        ……バカにしないでよ。
        こう見えても心配事だらけなんだから……

        朝のご飯はお代わりすればよかったとか……
        お昼は何を食べようとか……
        夕食のおかずはなにかなとか……後は、えーっと……?

        もう、なにを言わせるのよ……!



        今、どのあたりかな……?

        わたしはヘッドフォンを付けたまま、ガラス窓の外を勢いよく流れる景
        色を追った。

        駅を出発して20分位経ったかな。ちょうど車両は隣町との境界を流れ
        る川を渡るところだった。
        鉄橋を通過しているのか、線路に響く車輪の音が大きく反響している。

        ここを越えれば、後10分位で次の駅に到着する。
        もうすぐリラックスタイムともお別れね。

        わたしは窓から目をそらすと何気なく車内を見渡した。

        ……んっ……?
        ……何か、感じる……視線……?
        ……誰かがこっちを見ている気がする。

        もう一度、今度は慎重に視線の主を探ってみる。

        …… ……
        …… ……!
        ……いた! あの人だ……!

        わたしから5メートルくらい離れた場所で、吊革にぶら下がっている。
        最初は偶然かなと思ったけど、いつまでも目をそらす気配がない。

        ここは景色でも眺める振りをしながら、確認するしか方法はなさそうね。
        黒目だけを横にスライドさせて、視野の端に再度、主を捉える。

        ……?
        全く見覚えがない。誰なの……?
        ……まさか、女の子の敵……痴漢?

        それにしては距離が離れすぎている。

        ……もしかして美少女のわたしに好意を持っているとか……?
        まあ、それは充分に考えられるけど……

        どっちにしても、知らない人から一方的に視線を投げ掛けられるのって
        いい気がしないね。
        ここは反撃するしかなさそう。

        わたしは、見覚えのない人にちょっと厳しい視線を送り返した。
        これってわたしの欠点かもしれないけど、昔から負けず嫌いなんだよね。

        身長は……180センチ位あるかな。
        少し痩せ気味で、身体の線も細い感じ。
        ……肉体的な職業の人というよりホワイトカラー系……?

        顔は中性的な美男子……? 
        ……というか、髪型・服装も含めて典型的なホストっぽい人……?

        まあ、そういう世界に知り合いはいないけど、テレビではそんな人たち
        を何度も見たことがある。

        ホスト顔の人は、わたしが睨み返しているのに気付いたのか……?!

        ……!!
        ……えっ、視線を外してくれないの?
        ……全くどういうつもりッ!

        普通こういう場面って、軽く会釈して視線をそらすのが礼儀ってものじ
        ゃないの……?
        それなのに、逆に目だけで不気味に笑い掛けてきた。

        ……気持ち悪い……!
        なんなの、この人……!?
        かなり悔しいけど……こういう時は無視するのが一番かな。

        わたしは真っ直ぐに前を向いて男の視線をやり過ごすことにした。
        ……さりげなく横目で男の姿を追いながら……

        後できることは……?
        ……!
        ……ちょっと怖い表情をつくって、駅に着くのをひたすら待つ……それ
        だけ。

        5分、6分、7分……

        こういう時間って、どうして遅く感じるんだろう……?
        漫画を読んでいるときは、時間なんてあっという間に過ぎているのに……

        ……8分、9分、10分!

        やっとアナウンスが流れた。
        ……電車が減速する。

        わたしは多少強引にドアの前に陣取ると、恐る恐る後ろを振り返った。

        ……?!……いない……?

        ホスト顔の男は気付かないうちに消えていた。

        いったいなんだったのよッ……!
        わたしのリラックスタイムを返してよッ……!

        わたしは朝から不愉快な気分で改札口を後にした。
        歩きながら何度か後ろを振り返ったけど、あの男が付いて来ることは結
        局なかった。



        駅から歩いて10分位、歴史の重さを感じる古びたレンガ造りの正門が
        見えてくる。

        ここはどこかって……?

        ……見たらわかるでしょ。大学よッ!

        今、機嫌が悪いの。
        ……これ以上話しかけないでよ。

        「ボーン、ボーン、ボーン、ボーン……」

        気分をさらに害する音色が頭の上で鳴り響いてくる。

        「うるさいッ……!」わたしはぶすっとつぶいて、校舎中央に設置され
        ている時計を見上げた。

        「……まだ、30分もある」

        講義が始まるまでどうしようかな?
        同じような暇な仲間がいればいいけど……誰もいない。

        仕方ない……講義室で待つとしますか。
        まあ、あそこなら話し相手になりそうなわたしの同族もいるかもしれな
        いし……

        時間を潰すように、わたしは講義室のある教育科の校舎に向かった。

        あら、校舎の入り口に誰か立っている。
        さっそく同族が見つかった。

        わたしは合図を送るように手を上げかけて……その手を下ろした。

        ……なぜかって?

        ……簡単な話。
        わたしは、その子が大嫌いだから……

        「有里……おはよう」

        「…… ……」

        「あのね、わたし……あなたにお話しがあるの……」

        「…… ……」

        「ねえ……お願い……」

        しつこい子ッ!

        わたしは振り返ると、さっきまでのうっ憤をまとめて晴らすようにすご
        い剣幕で睨みつけて、そして言ってあげた。

        「気が付かなくて、ごめんねぇ……元。友人の舞衣さんッ!!」

        彼女の身体は固まり、強張った顔からは血の気が引いている。
        わたしは、残酷そうな作り笑いを浮かべて講義室に向かった。

        これでいいのよ。
        誰かが囁く。

        本当に、これでいいの?
        他の誰かが囁く。

        耳の中で、今自分が口にした残酷なフレーズが何度も何度もリピートさ
        れる。

        (元。友人の舞衣さんッ!!)

        わたしの背後で、誰かが嗚咽を漏らしていた。



        どう、きみも驚いたでしょ?

        これがわたしの本性。
        本当は性格のねじ曲がった嫌な女の子。

        そうだ。嫌な気分のついでに、この前話さなかった裏の話もきみに教え
        てあげる。
        ちょっと、こっちに来て。

        えーっと、前に話したように、会社の中には父を快く思わない人たちが
        いるって言ったよね。
        この話をわたしと母が知ったのは、今から1カ月くらい前のことなんだ。

        父の病室を、30歳位の真面目そうな男の人がお見舞いに来てくれたこ
        とがあったの。
        その人は父の元部下だと言って、綺麗な花束と父を慕う人達の寄せ書き
        の色紙をわざわざ持って来てくれた。

        わたしとお母さん。思わず泣いちゃった。

        だってそうでしょ。
        今でも、お父さんはみんなに慕われている……そう思うと嬉しくて……

        そんな彼が、帰り際にある裏話をそっと教えてくれたの。
        お父さんは罠に嵌められたと……!

        話しの内容はこんな感じ。

        父の失脚を願う人たちの中には、経営者の親族の人もいたらしいの。
        しかもその人。お父さんに役職で抜かされちゃって、ひどく恨んでいた
        らしい。
        で結局、父を罠に嵌めようとある卑劣な作戦を思い付いたの。

        それは、駅前開発のプロジェクトでリーダーの役を引き受けさせること。

        彼は考えたわ。これで父を失脚させられると……
        それくらい難しい事業内容だったらしいわ。

        でも、わたしのお父さんは負けなかった。
        一生懸命に努力をして、あと一歩のところまで辿り着いたの。

        結局、あの男の作戦は見事に失敗。
        それどころか益々出世に差がつきかねない。

        焦った彼は、父が会社のお金を流用していると言うとんでもない噂を流
        し始めた。
        そして、嘘の書類まで偽装して会社に提出したの。

        とんでもない卑劣で最低な男……

        そうだ、あなたにも教えてあげる。
        わたしのお父さんをこんな目に合わせた憎い男のこと……

        名前は吉竹亘。

        この人、父を追い落とした後プロジェクトのリーダーを引き継いだの。
        当然、全ての成果は独り占め……

        父の部下だった人の話によると、次期社長の噂があるんだって……

        可哀そうだね、お父さん。あんなに頑張ったのに……
        わたし、生まれて初めて神様を恨んだ。

        でも、悲しいことはそれだけでは済まなかった。
        わたしは大切な親友さえ失ったんだから……

        さっき、きみも会ったでしょ。

        あの子の名前は、吉竹舞衣。
        ……そう、あの男の娘。

        性格は、わたしと違って控えめで上品で、誰とでも分け隔てなく付きあ
        うことの出来る女の子。
        これからも、親友として付き合っていけると思っていた。

        因みに、高校・大学も彼女と一緒……
        お互い気が合ったし、将来は教師になる夢があったからね。
        それなのに、あの男は父だけでなくわたしの親友まで奪っていった。

        ……許せなかった。
        あの男は当然……娘の舞衣も……

        あの人の子供という理由だけで恨むのは筋違いかもしれないけど、やっ
        ぱり我慢できない。

        ねえ、きみはどう思う?

        ……もう仲直りなんて……無理だよね。