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人妻美穂と美大生 第2話



  
                                          


第2話  アンコールワットの絵



         水道業者がつぶやいた『被害』という一言は、ずっしりと重く私の心に
        のしかかった。
        下の家はどれほどの被害なのだろうか……
        洗濯機をかけたまま買い物に行ってしまったことを、私は深く後悔した。

        (補償費用がどれだけかかるのか分からないけど、私が悪いのだから弁
        償はしなければ・・・でも額によっては恐ろしいなあ……)

        洗濯機のホースから零れた水はほとんど吸い取ったのでもうこれ以上零
        れることは無いだろう。

        「管理人さん、手伝ってくださってありがとうございました。もう大丈
        夫じゃないかと思うので、私、今から下のお部屋にお詫びに行ってきま
        す」
        「大変なことになりましたね。私も一応立会いをさせていただきますの
        で」
        「すみませんね。ご苦労をおかけしますがよろしくお願いします」

        洗濯機による漏水事故が発生した場合、当事者である上下階の住民同士
        で話し合って決着をつけるのが一般的で、ふつうはマンションの管理人
        は立会いをしてくれないものだ。
        しかし幸いにもここの管理人は親切な人で、階下の被害状況をいっしょ
        に確認してくれることになった。

        私と管理人は階下の小野原という男性の部屋を訪れた。
        修理業者の出入りが頻繁にあるからか玄関ドアは開けたままドアストッ
        パーで固定してある。

        「失礼します」
        「どうぞ、入ってください」

        顔は見えないが、奥の方から若い男性の声がした。
        靴を脱いで玄関を上がると、天井数箇所から水がポタポタと滴り落ちて
        いる。

        「これですね……」

        私は申し訳なく思い、遠慮がちに小野原に尋ねた。
        さきほどは慌てていたこともあってよく見なかったが、しっかりと見る
        と小野原は端正な顔立ちのかなりの美男子であることが分かった。歳は
        20才前後であろうか。

        「ええ、さきほどまでは天井から滝のように水がこぼれていたんですが、
        今だいぶ減ってきました」
        「そうですか……」

        そのとき修理業者が二人の会話に割って入った。

        「奥さん、今は濡れているから分かりませんが、乾けばおそらく天井の
        クロスがめくれてくるはずです。修理代は覚悟しておいてくださいよ」
        「は、はい……分かりました……」

        修理業者はかなり高圧的な態度の男であった。

        その時、小野原が曇った表情でつぶやいた。
        顔にはかなり深刻な色が滲んでいる。

        「天井の修理もだけど、それよりちょっとこっちに来てくれますか?」
        「あ、はい……」

        私は小野原に案内されて洋間に移動した。
        管理人と修理業者も後から着いてきた。

        小野原はクローゼットの扉を開けて、アイボリー色の布に包んである四
        角いものを取り出した。
        クローゼットにもかなりの水が零れたようで、布はびっしょりと濡れて
        いた。
        小野原は大事そうにアイボリー色の布を解いた。
        中から出てきたのは1枚の絵画であった。
        絵にまで水が滲みてしまっているようだ。

        「実はこの絵、わざわざカンボジアに行って描いたものなんですよ。で
        も濡れてしまってもうだめみたい……」

        良く見るとそこには世界遺産としても有名なアンコールワットが描かれ
        ている。
        私は愕然とした。
        多少は高価な被害物品もあるかも知れないと覚悟はしていたが、まさか
        その中に絵画があるとは想像もしなかった。

        管理人が尋ねた。

        「小野原さん、確か美大生でしたね」
        「はい、東西芸大の4回生なんです。以前からアンコールワットが描き
        たくて、昨年秋にようやく実現したんです。その時、向こうで描いた絵
        なんですよ。でもこれだけ濡れてしまってはもうダメですね……」

        私はただひたすら謝った。

        「小野原さん、本当にごめんなさい!海外で描かれた大事な絵をこんな
        にしてしまって……」





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