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届かない指先~癒されない心

























【前篇】



        
        階段を昇るたびに胸が高鳴っていた。
        静まり返った鉄筋コンクリートの壁に靴音が響いて、呼吸が乱れるのを
        感じた。
        そして目の前に鉄製の扉が姿を現した時、女は胸の鼓動を鼓膜で聞いた。
        同時に艶めかしく吐き出される熱い吐息も……

        「また来ちゃった……雅人……」

        背中で油の切れた扉が閉まる音がした。
        美佳は張り詰めた緊張をほどくように肩から力を抜くと、寂しそうに呟
        いていた。

        空を舞う小鳥のさえずりがどこからか聞こえ、心地よい秋風が耳元を掠
        めていく。
        ここがコンクリートとアスファルトに覆われた都会の一部だということ
        を、思わず忘れさせてくれる空間。

        (それなのに私ったら、こんな所で何を? ううん、知っているくせに、
        自分になんか訊かないでよ。だからこそ、今日も来たんでしょ?)

        胸の鼓動も荒ぶる呼吸も、幾分は収まり掛けていた。
        その代わりに込み上げてくる狂おしい何かに、美佳は突き動かされてい
        た。
        言い訳とも肯定とも付かない会話を自分自身と交わしながら、ひび割れ
        たコンクリートの床に足を滑らせていく。

        ここはマンションの屋上である。
        12階建て高さ36メートルの世界に拡がる長方形のスペースの中心に、
        彼女は立っているのだ。
        とにかく何もない。
        外周を彼女の背丈ほどフェンスで囲まれている以外、四角い箱のような
        昇降口が屋上の両端に設置されているのみである。

        「今日はここでしようかな?」

        東西南北全てが均等に見渡せるポイントで、美佳は青い空を見上げた。
        ぱさつくセミロングの髪を額の辺りで撫でつけながら、切れ長の瞳を泳
        がせた。
        そして、ぽってりとした肉厚な唇に含み笑いを浮かべると、身に着けた
        服に手を掛ける。

        スルスルと衣擦れの音が、無人の屋上に沁み渡っていく。
        夜が明けて数時間。まだまだ東に傾いた朝の光を全身に浴びたまま、美
        佳はサマーカーディガンに始まり、ストライププリントされたブラウス。
        続けて薄く脂肪の乗った両足にフィットするスキニージーンズと、まる
        でここが脱衣場のように躊躇することなく脱いでいく。

        カチッ……ファサ……

        「ふあぁぁ……」

        夫に褒められてちょっぴり自慢の白い肌を晒したまま、突き上げるよう
        なバストを覆うブラジャーも外した。
        支えを失った豊満な乳房がプルンプルンと揺れる。
        同時に解放的な気分に浸った唇からは、やるせない溜息が洩れた。

        主婦という職業を連想させるベージュ色のカップが、取り除いた右手に
        ぶら下げられている。
        それを美佳は、軽く折り畳んだジーンズとブラウスの隙間に挟み込んだ。

        (ショーツも脱いだ方がいいかな? やっぱり汚れるといけないよね)

        残るはブラと同色のベージュのパンティーのみである。
        高級感など微塵も感じさせない、伸縮性に富んだ逆三角形の薄布が、豊
        かに発達した下腹部を覆っている。

        美佳はほんの数秒悩んだ後に、右手と左手を腰骨のサイドに当てる。
        程よい緊張で伸ばされたウエストのゴムに指を絡めた。
        腰を曲げ気味にヒップを後ろに突き出して、滑らかな肌に添わせてパン
        ティーを下ろしていく。

        「ふぅっ……なんだか、恥ずかしい……」

        口にして、羞恥心が拡散する。
        ホンワカと温かい最後の一枚を抜き取って、ブラジャーと重ねてしまい
        込んだ途端、どうしようもない心細さも感じた。
        心地よかった筈の秋風が、手入れの行き届いたアンダーヘアをくすぐっ
        たのだ。

        ドキドキしていた。胸が? 心が?

        無人の屋上で全裸になった美佳は、両手で後ろ髪を掻き上げるようにし
        てポーズを決めた。
        左足を半歩前に進めて、腰を軽くしならせて。

        夫の雅人と結婚して3年。
        今年28才になる熟れた女体は、それでいて無駄な脂肪を感じさせない
        瑞々しさも兼ね備えていた。
        まだ妊娠、出産を経験していないせいだろうか、下腹のたるみなども感
        じさせない。

        (見てよ。もっと私を見て……近くで……ううんと近くで……)

        美佳は潤んだ瞳を足元に落とした。
        黒髪に沈んだ両手を、胸の膨らみにへと移動させる。

        「あはぁ、美佳のおっぱい……柔らかい……」

        すらりとした指先が、弾力のある肉を歪ませた。
        女として成熟の頂点を迎えた乳房に、指をすべて潜り込ませる。
        やわやわと揉みしだいていく。

        「あふっ、はあぁぁぁ……きもちいい……」

        胸の奥が、キュッと締め付けられる感じがした。
        指先だけでない。手のひらまで利用した愛撫に乳房の肉がほぐされ、甘
        い吐息が唇を伝って漏れた。

        (アソコも……下の唇も愛してあげないと……)

        足元に落とした目線が引き寄せられるように、太股から股間へと這い上
        ってくる。
        彼女の想いに期待して、くびれたウエストが微かに震えた。
        ファッションモデルよろしく捻らせた腰が前後左右に揺れ出して、股関
        節からもヒザ関節からも力が抜けていく。

        美佳は畳んで積み重ねた服の上に腰を下ろすと、大げさに息を吐き出し
        た。
        鎖骨の浮き上がった細い肩を何度か上下させてから、股を開いていた。
        誰もいないマンションの屋上で、けれども誰かに覗かれている錯覚を意
        識して、女の部分を余すことなく曝け出すと顔を背けていた。