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伸ばした両手 届かない夢 その2






















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(回想) 3月 21日 金曜日 午後9時   岡本 典子


       
それは、つい2週間ほど前の夜のこと……
私はいつものように、近くの定食屋さんで、アルバイトのお仕事をしていたの。

あと1時間……
……あと30分。ファイト! 典子!

ここ最近休みなく働いていたから、もうクタクタ! もう限界! って感じで……
いよいよ、オーダーストップねって時に、その悪魔さんは入って来た。

ひとりだけで、疲れているのか顔を伏せたまま、席に着いても身体を壁に寄り掛からせている。

典子と一緒。だいぶ参っているみたい……

ちょっとだけ母性本能をくすぐられた私は、足音を忍ばせるようにして、その人の元へ向かった。

「いらっしゃいませ……ご注文は……?」

お水をテーブルに置きながら、横目をチラリと走らせる。

お酒……かなり飲んで来たのかな?
顔が真っ赤じゃない。
それに、なんか暗ーい感じ……

その人は、虚ろな目でメニューを眺めていた。
多分酔っぱらっているのに、全然楽しそうじゃない。
……というより、これってやけ酒飲んで来ました! っていう雰囲気?

ここは、あまり関らないように、さりげなーく距離を置きながら……

「ご注文が決まりましたら、お呼び……きゃッ?!」

突然、腕を掴まれていた?!
掴んだまま、強引に引き寄せられていた。
衝撃で薄っぺらいメニュー表が、はらりと床に落ちていく。

私は、なにが起きたのか理解できずに、それでも取り敢えず小さく悲鳴だけあげた。

「お、お客様……お、お放し……放して……」

メニューが決まったのなら、口で言えばわかるのに……
私、まだ若いから耳なんて遠くないのに……

その人は無言のまま、私の顔を見つめていた。
あごから口、鼻、目、眉毛と視線を昇らせて、また典子の両目に舞い戻って来た。

鼻が混ざり合ったお酒の匂いを嗅ぎ取っている。
視野の正面で見据えたその人の顔に、私の脳も探し物をするように、過去の引き出しを次々にひらいている。

「の、典子っ……!」

「た、拓也……さん……?!」

頭の中で映像が浮かび上がる前に、くちびるが勝手に動いてた。
でも、その人は、確信を持って叫んでた。

拓也って呼んだ人の目が、みるみる正気を取り戻していく。
脳が慌てて用意した資料と間近に見る彼の顔に、私の顔は真っ赤に染まっていく。

閉店間際で、お客さんがいなくて良かったね。
楽天的な典子が、語り掛けてくる。

こんな場面、オーナーさんに見付かったら、面倒なことになるよ。
心配性な典子が、オロオロと周囲を見回している。

「7年? いや、8年振りか……
驚いたな……まさかこんな所でお前と再会するとはな……」

「そ、それは私も同じ。
今頃になって、昔の人に会うことになるなんて……」

心は、初心な17才にタイムスリップしていた。
拓也……河添拓也。
自分勝手で強引で……無理矢理私を好きにさせておきながら、少女の私を弄ぶだけ弄んで捨てた、ひどい人……

そんな彼がどうして今頃になって、私の前に姿を現すのよ。
どうして、このタイミングで再会なんかするのよ。

……これって、神様の悪戯? 運命の悪戯?


30分後……
バイトを終えた私は、待ち合わせていた河添と一緒に、オフィスビルが立ち並ぶ大通りを歩いていた。
前を歩く彼から3歩ほど後ろを、夜の冷気に肩をすぼませて、言葉も交わさずについていく。

お昼間はビジネスマンで活気のあるこの一帯も、午後10時を大きくまわったこの時間では、歩いている人もまばら。
それにもまして、下町でパン屋を営んでいた私にとって、この付近は、まるで別世界。

私と彼って、知らない人が見たらどう思うかな?

夫婦……? 私のぎこちない歩き方から、それはないよね。
だったら、兄妹? こんなに顔が似てないのに、もっと有り得ない。

だったら……そうだとしたら……不倫? 禁断の愛? 許されざる仲?
やっぱり、そう見えるかな?
ううん、たぶんそう見られてる……かも……

「随分冷えてきたな。コーヒーでも……」

河添の指が、24時間営業って看板のあるファミレスを指差している。
私は返事をする代わりにうなづいていた。

人の暖かみを感じないコンクリートの行列の中で、その建物から漏れるオレンジがかった明るい照明が、心のオアシスのように思えて……

今、思い出しても、あの時の私の心理って、どうなのかな?
よく思い出せないし、実際のところよくわからないの。

ただ、これだけは、おぼろげに覚えてる。

典子の中の誰かが、『夢を掴むチャンスは、この瞬間だよ』って、背中を後押ししてた。
胸の中に住んでいる、博幸の笑顔が、霞んで揺らいでいた。

そして、ものすごく寒くて凍えそうで、早く暖まりたいって、私は本気になって言い訳を探し求めていた。



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伸ばした両手 届かない夢 その3















 

                  




(16)


(回想)  3月 21日 金曜日 午後11時   岡本 典子



私と河添は、窓のない奥まった席を選ぶと、向かい合って座った。
午後11時を過ぎた店内は、ファミレスの名前にそぐわないほど閑散として、場違いな大人の雰囲気を醸し出している。

ウエイトレスが注文を訊き、ふたりの前に真っ白なコーヒーカップがセットされる。
それでも沈黙が流れていく。

やがて、コーヒーに浮かぶミルクの模様を眺めるようにして、河添の方から口をひらいた。

「8年……か。早いものだな。俺たち……」

「……ええ」

「典子は……いや、俺の方から話すのが礼儀だな」

河添は、くちびるの端に昔と同じ笑みを浮かべて、私と別れてからの8年を話し始めた。

彼らしくない。
緊張しているのか、その口振りは、一言一言噛み締めるように重たかった。

でも、次第にその口調は歯切れがよくなり、身ぶり手ぶりを交えて、まるで高校時代の彼のように語りだしていた。

黒くて丸い両目に、野心の光が見え隠れし始める。
同時に私の両目から、淡い恋心に浸る初心な17才の典子が、かき消されていく。

河添の口から飛び出す、『時田』って言葉に、心が震えた。
思わず立ち上がろうとする両足を、必死で押さえ続けていた。

これは偶然なの?
それとも、これも神様の悪戯? 運命の悪戯?
ひどすぎる。こんな再会って、酷すぎるよ。

途中で、勘のいい彼も、私の異変に気が付いたみたい。
話が一段落したところで、『今度は典子の8年を聞きたい』って、私の話を聞く側にさっと立場を変えた。

河添は、冷めたコーヒーを口に含みながら、私のくちびるが動くのをじっと待っている。
昔の彼女がどんな生活をしているのか、興味津津な顔で……

私は彼が去った後の8年を、なにも隠さずに、生まれたままの典子を見せるように全部話した。

愛する夫を亡くしたことも……
私たちの地域を、河添が勤める時田金融の再開発から阻止しようと、運動していることも……
それに、博幸が残してくれたお店を手放したくなくて、死に物狂いで働いていることも……

一気にまくし立てるように話してた。
言葉の端々に棘がでたまま、お腹から湧き上がるどうしようもない怒りを、目の前にいる河添にぶつけたくて、多少声のトーンが上がるのも気にせずにしゃべり続けていた。

そして、全て話し終えて、ずるいけど……
女の涙って卑怯だけど……

泣いていた。
昔の彼の前で泣いちゃった。

そんな昔話を、河添は目をつぶったまま聞いていた。

感情に任せて話す私に配慮して?
実は、私の怒りの混ざった声を、子守唄に居眠りしてたとか?

ううん、そのどっちでもなかったみたい。

気持ちを落ち着かせようとコーヒーカップを手にした私に、河添が視線を送っている。
野生の獣のように爛々と輝かせた目。
欲しいモノ、手に入れたいモノがあるときにする、昔と変わらない彼の瞳。

「典子、俺と組まないか?」

「な、なによ突然……?!」

「さっき話しただろう? 昇進という名の下の、俺に対する左遷を……」

「え、ええ……」

私は、曖昧にうなづいていた。
そう、この男の瞳に……それに、最初に語った意味不明な誘い言葉を察しかねて……
そして、時田という言葉で頭の半分が怒りで包まれながら聞いた、河添の話の内容。

「俺は……典子、お前の全てを利用して、もう一度表舞台へ返り咲いてやる。
いや……それだけでは気が済まない。
どんな手を使ってでも出世して、俺をつぶそうとした連中を、今度はこの俺が叩きつぶしてやる。
なあ、典子。そのためには、お前の協力が必要なんだ。
お前の身体も! 心も! なにもかもを! この俺に預けてくれ!
全てがうまくいった暁には……」

「あ、暁には……?」

聞き返していた。
こんな恐ろしくて、屈辱で、それでいて夢物語みたいな話。
無視して自分のコーヒー代だけ支払って立ち去ればいいのに……

私は、金縛りにあったみたいに椅子に座り続けていた。
おまけに、興味ありますって顔で、聞き返したりして……

「典子の希望を全部叶えてやる。
お前が愛するあの地区も、お前の大切な店も……
全部、この俺が守ってやる。
だから、俺と組んでくれ。典子!」

この人なら、あるいは……
私は、河添の野生児にも似た貪欲な瞳に、河添の言う全部を賭けてみたくなっていた。

99%正しい現実と戦って、負け続けて、最後の残り1%に典子の夢の全てを……
そのためなら、私……私の身体なんて……
こんな儚い夢に付き合える安っぽい心なんて……

私は、大きく深くゆっくりとうなづいていた。
典子を見る男も、満足そうにうなづいた。

でも不思議。なにも感じない。
なにも怖くないし、なにも恥ずかしいと思わない。
当然、後悔もしていない。

だって、私はそれどころではなかったから……

心を覆うスクリーンを破ろうとする博幸を説得するのに、精いっぱいだったから……


「ふーぅ。私のお話は、これでおしまい」

あら、あなた偉いわね。まだ、起きてるじゃない。
押しピンひとつで済むなんて、なかなか感心感心。

ところで、あなたが焼いたパン、結局何個売れたのよ?

えっ? 100個焼いて、2個?! ……たったそれだけ……?
いったい、どんなパンを作ったのよ。

……なになに? 冷蔵庫に入れ忘れたマグロとイカの刺身を、パン生地に包んで焼いたって……?
中を割ってみると、糸を引いててジューシーで、吐き気がするほど美味って……

……やっぱりあなたって、表現おかしいし、味覚おかしいし……
それ以前に、なんてことするのよ!
『ベーカリー岡本』の名に傷が付いちゃったじゃない!

それで、あなたの作ったゲテモノパンを買った、物好きなお客さんって……?

えっ? ふたり連れの男の人……?
背が高くてハスキー声の人と、もっと身体が大きくて、首からビデオカメラをぶら下げてた無表情な人?
胸に大きな名札をひっつけていて、副島・横沢って……?

ふーん、名札まで持参って……
これは、本家シナリオの越境攻撃では?……って、典子、今変なこと考えて……ううん、ないない。

……ということで、この辺りでは見掛けない人たちね。
……で、どうなったの? その人たち?

その場で完食して、感動のあまり口から泡を噴きながら倒れ込んで、究極のおいしさを表現するように全身を痙攣させて、嬉し涙まで流していたって……?!

それって要するに……?!

ダメ! 考えない! 私知らない! 関係ないから!
でも……どうしてかな? なんだか私まで嬉しいな。
うーん。なぜなんだろう?



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男の部屋に呼ばれて……






















(17)


4月 8日 火曜日 午後6時   岡本 典子



2日後……

河添に呼び出された私は、メールに添付された地図を頼りに男が住むマンションへと向かった。
高規格の道路に沿うように、つい最近完成したばかりの高層マンションが連なっている。

「えーっと、確か……このマンションよね……?」

私は、スマホに表示された地図と夕闇の空にそびえ立つ黒いシルエットを見比べながら、納得するようにうなづいていた。

「やっぱり、一流企業の課長さんにもなると、私たち庶民とは稼ぎが違うのよね」

新聞チラシ広告で見たことがある。

『新規分譲開始! 最上階の部屋は、なんと1億円!!
貧民には手の届かない、この高さ! この絶景! この値段!』

……って、書いてあったような……なかったような?

「でも、こんなに同じ形の建物ばかりが並んでいて、自分のお部屋とかよく迷わないわね?
方向音痴の私だったら、たぶん無理だろうな。
丸3日間くらい彷徨い続けて、典子のお家どこぉ? って泣いちゃうかも……ふふふっ」

建物の入り口で教えられた暗証番号を打ち、エレベーターに乗り、教えられたフロアー番号を打つ。
私の嫌みな妄想は、結局、河添の部屋へ入るまで続いていた。


「わあー、本当に見晴らしがいいのね。海まで見えてる♪♪」

肩先に掛る髪が春の微風に軽く乱される。
陽が沈み、東の空から闇に包まれ始めている夕空を、私は最上階のベランダで眺めていた。

「典子が住んでいるのは、あの辺りだな」

隣で恋人のように寄り添う河添が、指先を私の視線に合わせて指し示した。

屏風のように立ち並ぶ高層ビル群の谷間で、ひっそりと佇む低層住宅の集まり。
それが長いビルの影に覆われて、いち早く闇の世界に埋没しようとしている。

「ここからの眺めってこんなに素晴らしいのに、どうしてこの前は、あんな高級ホテルに私を誘ったのよ?
勿体ないじゃない」

私は思い出したように話していた。
話し終えて不満そうに口を尖らせた。

指さした男の口調に滲み出た、蔑みを感じて……
気の利いた見返す言葉が見付からなくて……

「随分と細かいことを気にするんだな。
俺としては、典子の崇高な自己犠牲の精神に敬意を払ったつもりだが……
それとも、これが庶民の金銭感覚ってやつか?」

「違うわ……これは家計を預かる女の金銭感覚なの。
私はこれでも主婦ですから……」

「主婦ねぇ……」

私の言葉に反応したのか? 右肩に河添の手を感じた。
そして、もう片方の手が上着のポケットをまさぐっている。

「では、主婦業に精を出している典子の、乱れた姿でも鑑賞してみるかな」

男の唐突な言葉が、ぐさりと胸に突き刺さる。
冷めていた河添の両目に淫靡な炎が灯り始めている。

ポケットから摘み出されたスマホ。
その薄っぺらくて縦長の画面が、私を恥辱するための道具に変化してる。

「こ、ここで? ……再生するの?!
よしてよ! 外でなんか恥ずかしいじゃない。
ね、部屋で……あなたのお部屋で……」

「ふふふっ、なにを今さら恥ずかしがっているんだ。
俺は夜風に吹かれながら、典子の痴態を鑑賞したいんだ。
それに地上30階のベランダで、誰がどうやって覗くというんだ? 聞き耳を立てるというんだ?
まだ両隣りは空き家なんだぜ」

「でもぉ……やっぱり……
下の階は、住んでいるんでしょ?
こんなの嫌なの……私は恥ずかしいの。
……って……?!
……えっ?! い、イヤッ! 消してぇッ、と、とめてよぉッ! 恥ずかしい……」

河添がスマホを突きつけていた。
よく見えるように私の真ん前で、よく聞こえるようにボリュームをいっぱいに上げて……!

にちゅにちゅ……ぬちゅぬちゅ、にちゅにちゅ……ぬちゅぬちゅ、
「か、感じちゃう……ヒダのお肉に……ゆ、指が……指が絡みつかれてぇ……くっぅぅん、はぅぅんんっ……!」

少し気取って主婦の顔をしてたのに……
夕闇のベランダで、元恋人との疑似ごっこをもう少しの間続けたかったのに……

「お願い! 返してよぉ、返してってば!」

私は奪い取ろうと、両手を伸ばした。
阻止するように片手で高々と掲げられたスマホに、届かないのに指先までいっぱいに伸ばして……

男は、目の下で私を見て低く笑った。
私の必死の両手を払い除けると、スマホをベランダの外に突き出した。
典子の恥ずかしい秘密の声を、吹き付ける風に乗せようとした。
風を通してどこまでも拡散させようとした。

もう……だめ……
みんなに聞かれちゃうかも。
下の階の人にも、そのまた下の階の人にも……
ううん、風に乗ってどこまでも拡がっちゃうかも……

私は、しゃがみ込んだまま両目を閉じて両耳も塞いでいた。
なんの覆いのない高層階のベランダで、なにも感じない空間を作ろうとしていた。

でも、それでも無理なの!

典子の、はしたない行為を……
典子が、大切な人を想いながら指を使ったひとりエッチを……

頭の中で、映画のCMみたいに何度も再生されるの。
盛りの付いた獣のように叫ぶ典子の声が、耳元から離れてくれないの。

「イヤイヤイヤ、もう聞かないで……もう、見ないで……」

私はブツブツとつぶやいていた。
同じフレーズを独り言のように、お経を唱えるようにつぶやいていた。

情けないよね。
こうなることくらいなんとなく想定してたけど、やっぱり辛いし悔しい。
そう、私だって覚悟してた。
お花見の前日。河添からのメールに、震えながらOKしたときから覚悟はしていたの。

でもね。女にとって自分を慰める姿を異性に覗かれるのって、死ぬほど恥ずかしいことなの。
そうよ。あのときだって心の中の典子は泣いていた。
泣きながら一生懸命感じたの。快感してたの。
エッチに指を動かして感じたかったの。絶頂したかったの。

大切な人には、哀しい涙は見せたくなかったから……
気持ちいい嬉し涙を見せたかったから……

こんな私って、安易な女だったのかな?
それとも、こんなの平気だよって顔をやっぱりしないといけないのかな?

無理を承知で……



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ベランダで交尾? その1






















(18)


4月 8日 火曜日 午後7時   岡本 典子



「思っていたより上出来だ。
まさか、俺の作ったシナリオどおりに、ここまで恥ずかしげも無く演じるとはな。ふふっ、感心なことだ。
それにしても、8年前、下着を見られただけで赤面していたお前が、こんなに大胆なオナニーを披露するとはなぁ。
これも、守るものがある人妻の強さというやつかな? ははははっ」

鑑賞が終わったのか? 河添に馴れ馴れしく肩を揺すられた。
いつのまにか、ポケットにスマホがねじ込まれている。
それでも私は、聞き分けのない駄々ッ子のように座り込んでいた。

「さあ、立つんだ!」

河添の両手が脇の下に差し込まれて、無理矢理立たされた。
私はこれ以上干渉されたくなくて、両腕をベランダの柵に置いた。

まだ陽の温かみを残すコンクリートの手触りと、一気に冷えてきた風のギャップに夜を感じて両目をひらいてみる。
いつのまにか暗闇に包まれていた。
さっきまで確認できた陸地と空の境界線も、紅い夕陽に照らされたオレンジ色の海も、みんな闇色に染まっていた。

私たちの街もあの闇の中なのね……

そう思うと少しだけ気が楽になる。
少しだけ気を強く持てる。

だって今から私は……

「寒くなってきたな。俺たちも暖まるとするか……」

いやらしさを含ませた河添の声が、背中越しに聞こえた。
言葉の意味を察して振り返ろうとする両肩を、男の両腕が押さえ付けていた。

男の気負った鼻息がうなじの肌を撫でていく。
その瞬間、典子のセックスの概念が壊れていく。

「ちょ、ちょっと? まさか……?!」

案の定って感じで、背後から河添が抱きついてきた。
ここはベッドじゃないのに厚い胸板を密着させている。
その間も、荒々しい指たちがシャツのボタンを引きちぎるように外していく。

「イヤァッ、こんなところでは、イヤッ!
中でしてっ! 部屋の中なら構わないから……
典子、大人しく抱かれるから……だから、お、お願い……
外でするなんてぇッ……いやぁッ!」

叫んでいた。
地上30階だからって誰かに聞かれているかもしれないのに、悲鳴を上げていた。
ひじを折り曲げて、何度も何もない後ろを突いた。
背中を揺らして、ビクともしない男を引き剥がそうとした。

嫌だったから。
男とセックスする覚悟はしてたけど、こんなところでは絶対に嫌だったから……

そうよ。男女の行為はベッドの上でするものなの。
外でセックスしたら、それは獣になっちゃうの。
それって交尾って言うの!
典子はまだ人間なの。
人の道に外れることをしているけど、まだ獣じゃないの!

「おい、随分と抵抗するじやないか。
自分の立ち場もわきまえずに……」

河添が私の両手を封じると、耳元で何かささやいた。
ささやきながら、はだけた胸元に右手を差し込んでホックを緩めずにブラを強引に引き上げた。

「い、痛いっ! いや……いや……」

抗議する声がどんどん小さくなっていく。
胸のふくらみを、ワイヤーの付いた布にこすられて痛いのに……
肩に指が食い込んで痛いのに……

「ほら、言葉遣いが違うだろ。
俺がここで身体を暖めたいと言えば……典子はどうするんだ?」

むき出しになった乳房に指を這わせながら、河添がまたささやいてきた。

今度は抵抗する力もどんどん削がれていく。
『典子の夢』ってささやかれて、従順になっちゃった。
さらにもう一回ささやかれて、また淫乱な典子を演じないといけなくなっちゃった。

「ほら、どうした?
さっさとお願いしたらどうだ?」

河添が催促する。
急かすように乳首を摘み上げて、私に残るささやかな反抗心まで打ち砕いていく。

「あぁっ、乳首やめて……い、言います……うぅっ、しゃべりますから……
……うぅ、うれしい……典子も……寒かったんです。
ど、どうか河添様。
ふしだらな典子の身体を暖めてください。
あ、あなた様の、逞しい……お、お……おち○○んを……典子の……お、おま○こに……挿れてください。
ベランダで両手を突いてお尻を振る、ひ、人妻の典子を……バックから犯してください。
お、お願いします……ううぅぅっぅぅっ……」

耳の中に残る河添の言葉を、そのまま口にしていた。
目が霞んでも転落しないように、コンクリートの柵をしっかり掴んで震える声帯から声を絞りだしてしゃべっていた。
知っていても口にしてはいけない卑猥な単語も、自分自身を卑下して辱める口上も……
うん、大丈夫……全然平気。

だって、今からお外でセックスするんだから。
こんな変態カップルには羞恥心なんて必要ないから。

「ふふふふっ。自分から、おち○○んに典子のおま○ことはな……
こんな破廉恥な言葉をよく恥ずかしげもなく言えるもんだ。
まあ、典子の方からそこまでおねだりされては、ふたりして暖まるしかないだろう。
ほら、可愛がってやるから、もっとケツを突き出すんだ!」

「は、はい……こうですか?」

私は、言われた通りに背中を反らせて腰を持ち上げていた。
ひじもいっぱいに伸ばして、それなのに頭を伏せて、男が大好きな下半身だけ突き出してあげた。



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ベランダで交尾? その2























(19)


4月 8日 火曜日 午後7時20分   岡本 典子

     

ファサッ……

「ひぃっ……?!」

スカートを腰の上まで勢いよくめくり上げられた。
そうしたら、ショーツだけのお尻がブルッて小さく震えた。

でも、これは寒さのせいなの。
肌を刺す冷たい冷気のせいなの。
絶対に、悔しかったり惨めだったりしない……から……?

「ボリュームのあるいいケツをしている。
このムッチリ感は、さすがは人妻だな……
さあ、次はどうして欲しいんだ?」

河添がまた耳元でささやいた。
逃げ場なんてない私をもっと辱めたくて、卑猥なセリフを耳に刻み込んでいく。
そして、もう待ちきれないよ。って、男の手のひらがショーツの上からお尻を撫で回し始めた。
お肉の弾力を楽しむように、さっさとおねだりさせようと、ペシペシって叩かれた。

「ううっ……か、河添様、お、お願いがあります。
の、典子、寒くて凍えそうなの。
早く……せ、セックスして暖かくなりたいの。
ああ、だから……の、典子の……パ、パンティーを脱がせてください。
メスの匂いを漂わせている……はしたない、お、おま○こに、あなた様の……お、おち○○んを……挿れて……お願い……」

しゃべり終えた途端、冷たい北風が吹き付けてきた。
背筋がゾクゾクして泣きそうになってる。

薄い布に覆われたお尻を好き勝手にされて……
淫乱な典子にピッタリのセリフを言わされて……

卑猥で禁断な単語も、典子はまた口にしちゃった。
きっとこの後も、喉が嗄れるくらい叫ばされちゃうかも。

「ああ、典子のお望みどおり温めてやるよ。
寒風に晒されるベランダで、犬のようにバックから突いてやる。
だからお前も、せいぜいいい声で吠えるんだな。
ふふっ、典子の旦那に聞かせるようにな」

「ああ、ひどい……」

北風が更に勢いを増した。
ベランダで半裸にされた私に、獣のセックスはお似合いだよって、身体の芯まで凍らされていく。
ほらぁ、さっさと交尾して獣みたいに叫ばないと凍えるぞ! って、淫乱な典子に期待して脅してくる。

私は、コンクリートの柵に身体を預けるようにして夜空を見上げた。
視線の端で暗く沈む愛する街を捉えた。

そして考えていた。
夜風に吹かれてするセックスって、気持ちいいのかな? って……
それで気持ちいいのって、本当は男だけじゃないのかな? って……

スルッ……スススッ……スルッ……

「……んん……んんっ……」

河添の指が、おねだりどおりにショーツを引き下ろしていく。

無抵抗な女から最後の下着を剥ぎ取るのって、そんなに楽しいことなの?
そんなに興奮することなの?
ただ脱がされる私にはわからないけど、理解なんてしたくないけど……

毒舌な男はこんなときだけ黙りこくったまま、焦らすほどゆっくりゆっくり薄布で肌を刺激していく。

内ももを合図のように叩かれて、右足を上げて左足を上げた。
ほのかに温もりを感じるショーツを足首から引き抜かれた。

また、内ももを叩かれた。
私は、「ううッ」って小さく呻いて太ももをひらいていく。
大切な処を覗きやすいように、落ちそうになる腰をもっと高く持ち上げる。

典子は一応人間なのに、これじゃまるで芸を仕込まれた動物みたい。
ううん、それ以下かも。
だって、人前で性器を晒す恥ずかしい芸なんて従順な動物でもしないよね。きっと……

「この前も味あわせてもらったが、まるで使いこまれていない処女のようなおま○こだな。
合わせ貝の肉の扉も、もう少しいびつになるものだが、まったく形が崩れていない。
ここは、前の旦那の臆病な扱いに感謝するか? 
それとも、子を産まなかったこと典子に感謝すべきか?
まあ、どちらにせよ、お前の女の価値は高値のままだということだ……ははははっ」

「……ひどい……そんな言い方。
それに主人の事には、触れないで欲しいと前にも話したのに……」

私は振り向かずに暗い闇を見ていた。
男の噴き付ける鼻息を、デリケートなお肉に感じながら力を込めてコンクリート柵を握り締めていた。

間違っても振り向くわけにはいかないの。

だって、男に覗かせるために股をひらいてお尻を突き出す典子なんて私じゃないから……
夫を侮辱されて後悔しきれないことをズケズケと指摘されて……
それでも言い返せない典子なんてやっぱり私じゃないから……

そう、今ここにいるのは博幸の知っている典子じゃないの。
淫乱っていう肩書のついたエッチでスケベな典子なの。

だから、私の方からおねだりするの。
こんな感じで……

「か、河添様……
いつまでも典子のはしたない……お、おま○こなんて覗いてないで、早くあなた様の逞しいモノを……
そう、お、おち○○んを、典子の……おま○こに、い、挿れてぇ……突っついてぇ!
典子……もう、待ちきれないのぉ……」

夜空に向かって小声で叫んでた。
それでも、風に乗って愛する街まで飛ばないように祈りながら叫んでた。
そして、祈って叫びながらエッチを催促するように、はしたなくお尻を左右に振っていた。



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