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人の心 鬼の心























(11)
 


わたしは床に落ちたバスタオルを身体に巻きつけると、四巡……ううん、お父さんに寄り添った。
あごを伝って滴る大粒の汗。
肩を大きく上下させる荒々しい呼吸。

四巡は刀を振り下ろしたまま、身体を彫像のように固めている。
滞留する霊力を放出して、黄泉の使者を足止めさせた『現世保時』という秘術。

春夏秋冬家としての使命は終わっているのに……
この術って、ひとつ間違えば自分の命だって危ないのに……
神楽のわがままを聞いてくれて……

お父さん、大好き♪♪
こんなお人好しのお父さんが……だから……
「がんばってよ。輪廻の霊媒術師」
一生懸命、応援してあげる。

魔剣の切っ先を辿るように光の扇が左右に開く。
その中から、浄化された大気とともに穢れのない女性が姿を現した。
見覚えのある花柄模様のワンピースを身に着けた美しい人。
もちろん、在りし日の姿そのままに……

その表情には、未練も怨みも存在しない。
あるのは、大切な人と過ごした思い出。大切な人と過ごしたかけがえのない記憶。
それを証明するように頬を濡らす涙。

「ど、どうして?!……どうして……君が……?!」

「……淳二……」

淳二さんはふらふらと立ち上がり、両手を伸ばした。
愛する人の涙を拭おうと、手の甲を揺らせた。

「ありがとう、淳二。こんな私に優しくしてくれて……」

虚空を撫でるだけの指をやさしく押しとどめた彼女は、自分で頬を拭った。
そして、淳二さんの面影を心に刻むように話し始めた。

「もう、1年よね。私が死んじゃって……
記憶にあるのは、迫ってくる車の影と激しいクラクションの音。
そして、気が付いたときにはもう……
後悔したわ。寒くて心細くて真っ暗な道をひとり歩きながら、ものすごく後悔してたの。
『お願い。時間を戻してよ。私、まだ死にたくなんかない。あなたと……淳二とこれから幸せな生活をしたいの。
赤ちゃんだって欲しいし、子供が大きくなったら家族で旅行もしたい。
ううん、ふたりして仲良く年を取っていって、孫に囲まれながらおじいちゃん、おばあちゃんになっていきたいの』って……
だから私、あんな魔物の言葉に騙されて……」

「すまない京香。謝らないといけないのは、俺の方だよ。
君を失って心に大きな穴が空いて……紛らわせようと酒に溺れて、その上……」

「ううん。いいのよ、そんなこと。
だってあなたは生きているんだから。私の分まで幸せにならないといけないの。
そして、私もいつかは生まれ変わる。新たな人の命として、世界のどこかで……」

京香さんが、お父さんとわたしを見ている。
まぶたから清らかな涙を溢れさせながら頭を下げる。

お父さんが苦悶の表情を浮かべた。
光の扇が次第に狭まり、輝きが淡く薄らいでいく。

「さようなら、淳二。もう行かないと……」

「ま、待ってくれ。京香」

消え失せていく光の女性に差し出される生身の両腕。伸びきる両指。

「もう一度……きれいな身体であなたに会えて……私は幸せ。
さようなら……じゅん……じ……」

「京香ぁっっっ!!」

途切れそうな呼吸の隙間から、解脱の印がささやかれる。
その瞬間、光の扇がぴたりと閉じて闇の世界へと姿を消した。

「終わったのね?」

「ああ……」



「あ、阿傍様ぁっ! 羅刹様ぁっ! た、大変ですッ!」

陽の光から忘れ去られて数万年。
地中から湧き出すマグマこそが光の源の世界に、けたたましい子鬼の叫び声が響く。

「なんじゃあっ、騒々しいっ。お前もこの川で泳ぎたいのかぁ?」

「い、いえぇ、ご、ご勘弁をぉっ」

成人男性の半分くらいの背丈しかない子鬼は、チラリと真っ赤な流れに目をやり身震いをする。
なみなみと流れる溶岩の川で、人の群れが戯れている。
彼ら彼女は服を身に着けていない。
素裸のまま金属をも溶かす液体の中で、互いの身体をむさぼり合っている。
男と女。男と男。女と女。好き合う者。親と子。兄と妹。姉と弟。
全身の肌を焼かれながらも、互いを感じさせ合い嬌声を響かせる。
そう、ここは『無限性愛の獄』と呼ばれる地獄の業のひとつ。

「でぇ、用件はなんだっ?」

人の背丈の倍は十分にある牛の頭をした鬼が、ひれ伏す子鬼に声を落とした。
両腕は人の手。両足は頭と同じく牛の蹄。地獄を棲みかとする鬼、阿傍(あぼう)である。
もう1体。こちらは全身の肌を漆黒に染め、深紅の髪を持つ鬼、羅刹(らせつ)である。

醜く発達した瘤のような筋肉、耳まで裂けた口に濁り切った瞳。
そんな鬼たちが惰性のように腰を突き出している先には、素裸のまま膝まつく2体の女がいた。

「実は、怨鬼様が四巡によって葬られましたんでぇ」

小鬼が恐る恐る話しかける。

「なんだとぉっ、恨鬼の奴が……グゥゥッ、またも四巡によってかぁッ!」

「いや、あ奴程度の力では、存外敵わぬ道理やも……
かつての霊力を失ったとはいえ、始祖、鬼巡丸以来の逸材といわれた男。
五年前、我らを死の淵にまで追い込んだ四巡を阿傍も忘れてはおるまい?」

悔しさを滲ませ、驚きの声を上げる阿傍に、羅刹は同意とばかりに頷いた。

「フグゥゥゥッッ! 五年前……そうじゃ忘れようもない忌々しい事じゃ。
我はこの片眼を失い、羅刹。お主は利き腕をやられた。
いやそれ以上に、我ら鬼族の大半を消失させられるとは……」

「ふぐぐっ、そのことよ。だが手は打っておる。
失った鬼族のネタならいくらでも調達できるというもの。現世においてな。
それよりも、急ぐべきは我らのほうじゃ。痛めつけられた身体を早々に治癒せねば次の謀に遅れがでるというもの」

羅刹の目が紅蓮の川に注がれる。
阿傍もまた溜飲を下げるように、鬼と化す人の情念に牙を剥き出しにする。
2体の表情に悲観は微塵も感じられなかった。あるのは不敵な笑みのみ。

「あううぅっ、がまんできないぃっ、阿傍様ぁ、もっとぉ、もっとおぉぉぉっ」
「わたしもぉっ、羅刹様ぁっ。あなた様の太いおち○○んでえっ、ふぐぅぅぅっ」

そんな鬼たちの会話が途切れるのを待っていたかのように、うら若い女たちが声を上げた。
自ら尻を突き出しよがり狂う、浅ましい姿。

だが子鬼は知っていた。
この者たちが、無実の罪でこの地に送り込まれたことを……

不幸な死に様をした仲の良い姉妹を、自分たちの性欲の捌け口にするためだけに、騙され連れて来られたことを……
可哀そうに……

地面に頭を擦り付けながら、子鬼は人であった頃の懐かしい感情を思い出していた。
その目と鼻の先では、尻の皮を破られながらも人の腕ほどの肉棒を出し入れされる姉妹の悦びの声が……
女の身体を弄びながら新たな策を練る愉しげな鬼たちの声が……
互いに調和し、いつ果てるかもしれない地獄絵図を描いていく。



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