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人の心 鬼の心























(11)
 


わたしは床に落ちたバスタオルを身体に巻きつけると、四巡……ううん、お父さんに寄り添った。
あごを伝って滴る大粒の汗。
肩を大きく上下させる荒々しい呼吸。

四巡は刀を振り下ろしたまま、身体を彫像のように固めている。
滞留する霊力を放出して、黄泉の使者を足止めさせた『現世保時』という秘術。

春夏秋冬家としての使命は終わっているのに……
この術って、ひとつ間違えば自分の命だって危ないのに……
神楽のわがままを聞いてくれて……

お父さん、大好き♪♪
こんなお人好しのお父さんが……だから……
「がんばってよ。輪廻の霊媒術師」
一生懸命、応援してあげる。

魔剣の切っ先を辿るように光の扇が左右に開く。
その中から、浄化された大気とともに穢れのない女性が姿を現した。
見覚えのある花柄模様のワンピースを身に着けた美しい人。
もちろん、在りし日の姿そのままに……

その表情には、未練も怨みも存在しない。
あるのは、大切な人と過ごした思い出。大切な人と過ごしたかけがえのない記憶。
それを証明するように頬を濡らす涙。

「ど、どうして?!……どうして……君が……?!」

「……淳二……」

淳二さんはふらふらと立ち上がり、両手を伸ばした。
愛する人の涙を拭おうと、手の甲を揺らせた。

「ありがとう、淳二。こんな私に優しくしてくれて……」

虚空を撫でるだけの指をやさしく押しとどめた彼女は、自分で頬を拭った。
そして、淳二さんの面影を心に刻むように話し始めた。

「もう、1年よね。私が死んじゃって……
記憶にあるのは、迫ってくる車の影と激しいクラクションの音。
そして、気が付いたときにはもう……
後悔したわ。寒くて心細くて真っ暗な道をひとり歩きながら、ものすごく後悔してたの。
『お願い。時間を戻してよ。私、まだ死にたくなんかない。あなたと……淳二とこれから幸せな生活をしたいの。
赤ちゃんだって欲しいし、子供が大きくなったら家族で旅行もしたい。
ううん、ふたりして仲良く年を取っていって、孫に囲まれながらおじいちゃん、おばあちゃんになっていきたいの』って……
だから私、あんな魔物の言葉に騙されて……」

「すまない京香。謝らないといけないのは、俺の方だよ。
君を失って心に大きな穴が空いて……紛らわせようと酒に溺れて、その上……」

「ううん。いいのよ、そんなこと。
だってあなたは生きているんだから。私の分まで幸せにならないといけないの。
そして、私もいつかは生まれ変わる。新たな人の命として、世界のどこかで……」

京香さんが、お父さんとわたしを見ている。
まぶたから清らかな涙を溢れさせながら頭を下げる。

お父さんが苦悶の表情を浮かべた。
光の扇が次第に狭まり、輝きが淡く薄らいでいく。

「さようなら、淳二。もう行かないと……」

「ま、待ってくれ。京香」

消え失せていく光の女性に差し出される生身の両腕。伸びきる両指。

「もう一度……きれいな身体であなたに会えて……私は幸せ。
さようなら……じゅん……じ……」

「京香ぁっっっ!!」

途切れそうな呼吸の隙間から、解脱の印がささやかれる。
その瞬間、光の扇がぴたりと閉じて闇の世界へと姿を消した。

「終わったのね?」

「ああ……」



「あ、阿傍様ぁっ! 羅刹様ぁっ! た、大変ですッ!」

陽の光から忘れ去られて数万年。
地中から湧き出すマグマこそが光の源の世界に、けたたましい子鬼の叫び声が響く。

「なんじゃあっ、騒々しいっ。お前もこの川で泳ぎたいのかぁ?」

「い、いえぇ、ご、ご勘弁をぉっ」

成人男性の半分くらいの背丈しかない子鬼は、チラリと真っ赤な流れに目をやり身震いをする。
なみなみと流れる溶岩の川で、人の群れが戯れている。
彼ら彼女は服を身に着けていない。
素裸のまま金属をも溶かす液体の中で、互いの身体をむさぼり合っている。
男と女。男と男。女と女。好き合う者。親と子。兄と妹。姉と弟。
全身の肌を焼かれながらも、互いを感じさせ合い嬌声を響かせる。
そう、ここは『無限性愛の獄』と呼ばれる地獄の業のひとつ。

「でぇ、用件はなんだっ?」

人の背丈の倍は十分にある牛の頭をした鬼が、ひれ伏す子鬼に声を落とした。
両腕は人の手。両足は頭と同じく牛の蹄。地獄を棲みかとする鬼、阿傍(あぼう)である。
もう1体。こちらは全身の肌を漆黒に染め、深紅の髪を持つ鬼、羅刹(らせつ)である。

醜く発達した瘤のような筋肉、耳まで裂けた口に濁り切った瞳。
そんな鬼たちが惰性のように腰を突き出している先には、素裸のまま膝まつく2体の女がいた。

「実は、怨鬼様が四巡によって葬られましたんでぇ」

小鬼が恐る恐る話しかける。

「なんだとぉっ、恨鬼の奴が……グゥゥッ、またも四巡によってかぁッ!」

「いや、あ奴程度の力では、存外敵わぬ道理やも……
かつての霊力を失ったとはいえ、始祖、鬼巡丸以来の逸材といわれた男。
五年前、我らを死の淵にまで追い込んだ四巡を阿傍も忘れてはおるまい?」

悔しさを滲ませ、驚きの声を上げる阿傍に、羅刹は同意とばかりに頷いた。

「フグゥゥゥッッ! 五年前……そうじゃ忘れようもない忌々しい事じゃ。
我はこの片眼を失い、羅刹。お主は利き腕をやられた。
いやそれ以上に、我ら鬼族の大半を消失させられるとは……」

「ふぐぐっ、そのことよ。だが手は打っておる。
失った鬼族のネタならいくらでも調達できるというもの。現世においてな。
それよりも、急ぐべきは我らのほうじゃ。痛めつけられた身体を早々に治癒せねば次の謀に遅れがでるというもの」

羅刹の目が紅蓮の川に注がれる。
阿傍もまた溜飲を下げるように、鬼と化す人の情念に牙を剥き出しにする。
2体の表情に悲観は微塵も感じられなかった。あるのは不敵な笑みのみ。

「あううぅっ、がまんできないぃっ、阿傍様ぁ、もっとぉ、もっとおぉぉぉっ」
「わたしもぉっ、羅刹様ぁっ。あなた様の太いおち○○んでえっ、ふぐぅぅぅっ」

そんな鬼たちの会話が途切れるのを待っていたかのように、うら若い女たちが声を上げた。
自ら尻を突き出しよがり狂う、浅ましい姿。

だが子鬼は知っていた。
この者たちが、無実の罪でこの地に送り込まれたことを……

不幸な死に様をした仲の良い姉妹を、自分たちの性欲の捌け口にするためだけに、騙され連れて来られたことを……
可哀そうに……

地面に頭を擦り付けながら、子鬼は人であった頃の懐かしい感情を思い出していた。
その目と鼻の先では、尻の皮を破られながらも人の腕ほどの肉棒を出し入れされる姉妹の悦びの声が……
女の身体を弄びながら新たな策を練る愉しげな鬼たちの声が……
互いに調和し、いつ果てるかもしれない地獄絵図を描いていく。



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結ばれない想い























(12)
 


安積さん夫婦の哀しいお別れから3週間が経過した。
あの後、わたしは淳二さんに直接会っていない。
ううんちょっと違うわね。会っていないのは彼の方。

わたしはというと、大きな旅行カバンを手にマンションを後にする淳二さんを見送ったから。
夜明け前のゴミステーションの陰から。

がんばってね、淳二さん。
きっとあなたなら、哀しい過去も克服できるよ。
だいじょうぶ。瞬間恋人の神楽が保障してあげる。
だから……だからぁ、お土産を楽しみに待っているからね♪♪



「かぐらおねえたん、またあしたでちゅう」
「まもるおにいたんも、ばいば~い」

「さようなら~また明日ね」

お母さんに手を引かれながら何度も振り返る園児に、わたしは手を振っていた。
隣では引きつらせた笑顔を見せる守も、同じように腕だけは振っている。

「守は今日も触られちゃったね。大事なトコ。
うふふふ。若~い女の子に弄られるのってどんな気分なのかな?」

「か、からかわないでくださいよ。神楽様」

山門の影に車のライトが隠れるのを見届けると、わたしは守と連れだって、静けさに包まれた園舎へと歩き始めた。
さっきまでオレンジ色だった西の空も薄墨の空に塗り変わっている。

「ところでさぁ。その神楽様って呼ぶの、なんとかならないわけ?
守が律儀なのは今に始まったことじゃないけど、誰もいないんだし……その……神楽って、呼び捨てにしてくれてもいいのに」

最後になるにつれ声のトーンが落ちていく。
それでもわたしは、つられて落ちそうになる顔を引き上げた。
並んで歩く精悍な顔立ちの人を見上げていた。

「ねえ、キス……しよ」

わたしは立ち止まっていた。
小声でこっそりとおねだりしていた。

「神楽……様。ここでですか?
……あれから3週間。そろそろお身体のほうが?」

瞬間、守の目が見開かれ、見る見るうちにその瞳に影がさしていく。
恋人がキスをねだっているのに、大切な人は喜んではいなかった。
その顔は何かに耐えるように憂いに満ちていた。

「……うん、そろそろ影響が出始めているかも。
2、3日前から肌が火照ってきて、我慢はしているけど少し辛いの。だから守、お願い。優しくキスして」

わたしは守の手を引くと、園舎の壁際に誘った。
明かりの洩れる窓からは、行ったり来たりを繰り返す人影が映り込んでいる。

「守……」「神楽……さん」

ちゅぷ……ちゅぷぅっ……

自然な形で唇どうしが触れ合っていた。
わたしの口を塞ぐようにして、少し傾けた守の唇が押し付けられている。

「んむぅ、ちゅぷちゅぷ……守ぅ」

「はあぁ、じゅぷちゅぷぅ……神楽さん……神楽ぁ」

壁に背中を預けたわたしに覆い被さる大きな身体。心が安らいで温かくしてくれる神楽の大切な人。

小さくバンザイした両手の指に、硬く引き締まった指が絡み付いてくる。
指の間を互い違いに潜り抜けて、励ますように、それでいてどうしようもない焦燥感をその指が気付かせてくれて。

涙が溢れてくる。
目が合った守の眼尻からも光るモノが流れ落ちていく。

だからわたしのほうから舌を伸ばしてあげた。
舌の上に舌を乗せて、先ッポで届く処をすべて舐めてあげた。
密着した唇の通路を利用して唾液を流し込んであげた。

負けずに守も舌を動かしてくれる。
ふたりの舌が絡み合って撫で合って刺激し合って、疑似セックスをしている。
お互いの湧き出す唾液が、愛する液となってそれを演出していく。

「はんむぅ、むちゅぅ……守、愛してるよ」

「じゅぷじゅる……神楽ぁ。もう誰にも……誰の手にも触れさせたく……んんむぅ……」

わたしは更に唇を押し付けた。
胸も下腹部も密着させた。それ以上口にしてほしくなかったから。

ごめんなさい、守。
あなたの気持ちは痛いほどわかっているつもり。
でも、今はだめなの。神楽はあなたの恋人でありながら、あなたのモノだけではないの。
わかって。ね、お願い。

おへそのあたりに触れる熱くて硬いモノに切なさが増してくる。
堪えきれないようにあそこがジュンとして、太ももをよじり合わせてしまう。

だめ、感じてきちゃう。
わたし、キスしただけで子宮が疼いて、守のモノが欲しくなってる。硬くて熱いモノが。

わたしは上目づかいに、守の背中に拡がる星空を見つめた。
堪え性のないおっぱいがいやらしく張り詰めて、尖った乳首が期待するように厚い胸板に擦り寄ろうとする。

新月の夜空に浮かぶ満天の星々。
それがグシャグシャに滲んで流れて揺れた。

う~ん。却って逆効果だったかな?
ゆるゆると下へ降りていく守の手をピシャリと叩いて実感する。
哀しそうな守の表情に神楽も哀しくなって、もっともっと泣きそうになっちゃう。

ううん、でもその前に。パンツを穿き替えないといけないかも?



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5年前の夢























(13)
 


それは忘れもしない、今から5年前のこと……

当時中学生だったわたしは、運悪くインフルエンザにかかってしまい、自分の部屋で寝込んでいた。
40度近い熱が3日くらい続いて、お母さんが一生懸命看病してくれていたのを今でもはっきりと覚えている。
そして、ようやく熱が下がり始めて薬のせいでうとうとしかけていた時、あの不幸な出来事は突然のように襲いかかってきた。

「三鈴……ちと来てはくれぬか?」

遠慮がちにドアを開かれ、お父さんが顔を覗かせた。
でもその顔に、いつもの柔和な微笑みも、どこまでも落ち着き払った瞳も存在しない。
あるのは、焦りと苛立ちに満ちた表情。余裕って文字を忘れた神楽の知らない瞳。

「神楽、ちょっと待っててね」

お父さんの表情に何かを察したお母さんも顔を引き締める。
そして、わたしの肩口まで布団で覆ってくれると立ち上がり、ドアの所で振り向いた。

「お薬苦いけど、ちゃんと飲むのよ」

とっても優しい笑顔だった。とっても安心できる目をしていた。
でもなぜかな? お母さんの瞳、暗く沈んで。2度とその瞳と会えない気がして。
それなのに呼び止めちゃいけないって、誰かが囁いて。

ドアが静かに閉まる。
階下から張り詰めたふたりの声が聞こえて、わたしは睡魔に襲われていた。
ふわふわと波間を漂うように……



「よりによって守がおらぬ隙を突くとは、あ奴らにしてはやりよる。まして今夜は……」

「ええ。魔がその力を最も増すといわれる満月の夜。
それであなた、攻めてくる邪鬼の数はいかほどに?」

「うむ。それなんだが……我が張った外輪結界を突破したモノおよそ一千とみる。
おそらくは相当の手錬れが率いているに相違あるまい」

「い、一千……で、ございますか……まさかあの一千鬼団……
では、いよいよ言い伝えが現実のものに……?」

「ああ、運悪く我が代においてな。
現世を侵略する足掛かりとして、まずは四百余年に渡り守護してきたこの封魔護持社を壊滅させる。
その上で闇に乗じて新たな棲みかを手に入れるつもりであろう。
ふっ、あ奴らも陽の当らぬ地底生活に飽きてきたやもしれん。永久に変わることのない黄泉の獄にな」

「でも、それだけは我らが身に賭けても阻止せねばなりませぬ」

「うむ、よく申した三鈴。それでこそ我が妻。しからば頼むぞ」

「はい、あなた」

ここは……?
わたしはお父さんとお母さんの声を頼りに周囲を見回した。

歩いてはいない。飛んでいる? たぶん夢だから。

あっ、この桧皮葺の大屋根って、わたしとこの……本殿だよね。涼風の社の。
その先が広~い境内で、そのまた先に大きな山門があって。

ふ~ん、空から見るとこんな感じなんだ。まるで航空写真みたい。
それでお父さんとお母さんは、どこかな?

……見つけた! ふたり並んで立っている。

白銀色の絹で織られた上衣に、紫紋入りの紫袴を身に着けているのはお父さん。
お母さんは、白衣と呼ばれる白色の着物に、真っ赤な緋袴姿をしている。

わたし、初めて見たかも。
ふたり揃ってこの衣装を身に着けている姿なんて。

あれ? どうしてわたしの方を見ているのかな?
ううん、見ているというより殺気だった目で睨みつけている。

わたしを? 違う。もっと遥か上空を……闇に染まった汚れた空間を……

「不動にして不変の星よ。我に力を……我に屈せぬ御霊を……」

息の合った乱れのない詠唱。しばらくの沈黙。
そして……

「来たぞ!」

お父さんの両目がぐっと見開かれて、右手が流れるように半円を描いた。
漆黒の鞘から引き抜かれる真っ白な輝きを放つ直刀『隠滅顕救の剣』

隣ではお母さんが、舞を舞うようにしなやかに身体を一回転させる。
その頭上に掲げられているのは、春夏秋冬家の宝器『観鬼の手鏡』

手鏡に反射した青白い光が、サーチライトのように夜空を照らしだす。
闇に紛れながら涼風の社に急接近する集団を……!

(グゴゴゴォッ! グゲゲゲゲッ!)

両腕だけのモノ。両足だけのモノ。頭だけもあるし、切断された胴体に羽根が生えたモノだって。
あっ、こっちのは男の人のおち……いや、言えない。

でも何体いるんだろう?
100体? 200体? ううん、もっともっとたくさん飛んで来る。
群れをなして夜空の星々が覆い隠されるくらいに。

それに視線を合わせたまま、お父さんは天を突くように剣を掲げた。

「はあぁぁぁッッ! 邪鬼斬滅っ!!」

そして、気合とともに真上から一刀両断に振り下ろされる魔剣。
見えない大気が切断される。見えない空気が渦を巻く。
剣先から発した衝撃波は白銀の三日月を描きながら宙を突き進んでいく。

すごい。なんなの?! 三日月がどんどん大きくなっていく。

刃長だった剣波はグングンとその長さを増していき、更にその速度に磨きをかける。
やがて夜空を断ち切るかのように成長した三日月は、そのまま邪鬼の群れの中心を切り裂いていく。

シュビッ、シュバッ、シュブッ……!

悲鳴を上げる間もなく燃え上がり消滅する鬼たち。
腕が切断され足に火が付き、頭がのたうち回る。
敵陣の奥深く切り込んだ光の弧はその輝きを凝縮し、果てるように大爆発を起こす。

まるで人工の太陽。暗闇がお昼間のように白く照らし出されて……
剣を振り下ろしたままのお父さんが叫んだ。

「今だ! 三鈴っ!」

お母さんによって、頭上高く掲げられた春夏秋冬家宝器、観鬼の手鏡。
その丸い鏡面が四散した眩い光を吸い込み、残すことなく飲み込んでいく。
闇に戻った世界で鏡だけが太陽のように輝きを放ち、その中を生き逃れた邪気の群れが長い帯のように拡がり襲い掛ってきた。

ざっと数えて5百体くらいの人体の一部たち。
それが恨み妬み憎しみといった負を増幅させた邪気を伴ってものすごい速さで急降下してくる。

「涼風の御魂よ、我に力を! 邪鬼鏡殺陣!!」

いつものお母さんと違う、感情のない冷たい声がした。
同時に掲げられた鏡が、天空に線を引くように右から左へと流れていく。
無風の世界につむじ風が立ち、捲り上げられた緋袴から白い肌襦袢が、白い素足が露出する。

グシャッ! グシュッ! グシュグシュ……グギャァァァァッッ!

急拡大した男の下半身が砕け散る。隣では真っ赤な舌を突き出した頭が粉微塵になっている。
鬼たちが作る長い帯がそれを上回る巨大な光の帯に吸収され、砕かれていく。
それはまるで天空を流れる天の川。
そうよ、邪悪なモノたちを滅し消し去る聖なる河。



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陽動……悲劇の始まり























(14)
 


やったね。お父さん、お母さん。

(んぐごぉっ、ば、ばかな……)
(お、おのれぇ……人間ごときにぃ……ふがぁっ)

間近に迫った鬼たちの無念そうな声が聞こえた。
一千の鬼たちが、たったふたりの霊媒術師の前に全滅したのだから。

「はあ、はあ。終わったのね……あなた」

全身で呼吸しながら、お母さんがお父さんを見上げた。

「ああ、おそらくな……」

お父さんも肩で息をしながらお母さんの方を見つめようとして……その動きが止まった?! なんなの?
楽観が不安に置き換わっていく。
聞こえない何かを感じとろうと、お父さんは目を閉じて眉間に指を押し当てている。

「んんっ?! そんな筈は……バカな!」

緩み始めていた顔が、みるみるうちに緊張の色に包まれていく。
ううん、緊張を通り越して白い肌を青白く染めた悲愴な表情に変化している。

「どうしたのです?」

問い掛けたお母さんも同じだった。
見上げた表情に危機を察したのか、顔から笑みが消えた。

「卯と酉の方位からだ。新たな敵がそれぞれ一千。
それにこの悪気は……?! ……有り得ない。あり得ないが……阿傍と羅刹?
そうか、あ奴たちが指揮しておったか、ふっ、どおりで……」

「あなた、それでは先ほどの一千鬼団は、囮と……?」

「ああ、そういうことだ。我らの霊力を消耗させるためのな。
そして、弱まった我らを確実に仕留める。
ふっ、伝説に聞く地獄の鬼、阿傍と羅刹。バカではないようだな。……できるか? 三鈴!」

「はい、あなた。たとえこの身が滅びようとも……
ただ、あの子が。神楽が不憫で……」

お母さんは社の端にある母屋を見ている。わたしの身体が寝ている方をじっと。
その能面のように強張った瞳からは涙が零れていた。
でも何もできない。傍観者のわたしはただオロオロと見ているだけ。

「神楽のことか……はは、心配するでない。
あの子には守がついておる。我が片腕、狛獅子守がな。
……それよりも、早速のお出ましのようだな」

お父さんが卯の方位、東の空を睨んだ。
背中合わせにお母さんが酉の方位、西の空を睨みつけた。

それぞれが宝器を手に身構える。
その空の彼方に異形の鬼の大集団が姿を現した。

未熟なわたしでも感じる。ものすごく大きな邪悪な気の集まり。
そしてその中央、百体ほどの邪鬼に囲まれた巨大な鬼がいる。
全身を醜い瘤の筋肉に覆われ、牛の頭をした鬼と、漆黒の肌に伸び放題の深紅の髪をした鬼。
挟み打ちのように迫るその鬼たちがニヤリと笑った。血走った眼で見下ろした。

たぶんこれが、阿傍と羅刹? 怖いよお父さん。
地面にふわふわと降り立ったわたしは、山門の陰に隠れた。

「いくぞぉっ、はあぁぁぁッッ! 邪鬼斬滅っ!!」

「涼風の御魂よ、我に力を! 邪気鏡殺陣!!」

左右に駆ける光の弧と光の帯。
敵の集団が接近する前に数を減らそうと先制攻撃を仕掛ける。
でもその光は、あきらかに衰えている。ふたりの息遣いに比例するようにパワーが落ちているんだ。

シュビッ、シュバッ、シュブッ……グシャッ! グシュッ!……

お空の端どおしで巻き上がる光の閃光と爆発。
それでも百体以上の人間の一部と化した鬼が切断される。粉微塵に吹き飛んでいる。

「まだまだぁっ! 邪鬼斬滅っ!!」

「はあはあ、邪気鏡殺陣!!」

荒い息の中、お父さんが魔剣を振り下ろす。
ふらつく身体を支えながら、お母さんが鏡を構える。

幾筋も飛び交う、激しい爆発と光の渦。その中でまた百体ほどの鬼が吹き飛び消されていく。
でもそんな犠牲を気にすることなく、邪気の群れは急接近してくる。

「ほう、人間にしてはよくやる。さすがは四巡。いや、輪廻の霊媒術師とお呼びしようか。
……確かに、通り名に偽りはないようだな。よう、阿傍」

「ふんむ。だがな……ふぐぐぐっ、所詮は人の子。この程度の霊力で我ら鬼族に逆らおうとは。
がははははっ、久しぶりに愉しませてもらうぞ」

吹き寄せる爆風を難なく払いのけた2体の鬼は、右手を軽く持ち上げさっと引いた。
混乱しかかった邪鬼の群れが、瞬時に陣形を整え槍のように一直線に襲いかかってくる。

早い! もう間に合わないよ!

ブシュッ、シュパッ、シュバッ!

刀を自在に操り、お父さんは迫る敵を一体ずつ切り倒していく。
背後のお母さんは、鏡を反射させては援護するように残る敵を粉砕する。

「くっ、させるかぁッ! はあぁっ!」

「はあ、はあ……あなた、左っ!」

でも切りがない。
怖い鬼たちが見守る中、何百という人の腕が足が、まるでふたりを弄ぶように襲い掛ってくる。

あっ! お父さんの肩に4本の腕がぶら下がってる。
動きを封じられて、その間に足だけの鬼が折り曲げたひざを鳩尾のあたりに打ち込んできた。

「うぐぅっ、ごほっ!」

苦しそうな声とともに、お父さんの身体が前に倒れる。
それと連係するように、今度は別の手足の鬼がお母さんに襲い掛ってくる。

「ひぃっ、い、いやぁっ。放してぇ、離れてぇっ!」

哀しい悲鳴とともに、鏡を持つ手が力を失いだらりと落ちる。
その両肩を男だった手が押さえ付けている。
腰のあたりに男だった足が絡み付き、地面に引き倒される。
足首を別の2体の腕が左右に引っ張り、白い襦袢を更に白い太ももを露出させる。

(お、女だ……ぐふぐふ)
(しかも、こんな上玉に巡り合えるとは……)
(誰か早くこの女を引ん剥いてくれや。くそぉ、わしにも腕があればぁ……)

「おのれぇ、邪鬼どもめがぁっ! 三鈴、三鈴っ!」

「あ、あなた……い、いやぁぁっ、んむぅぅぅぅっ」

引き離されて肢体を拘束されたまま、それでも目の前に迫る鬼を切り捨てるお父さん。
でもその先では、無数の鬼たちがお母さんに取り付いている。
鬼の手がエッチに蠢いている。

やめてぇ! もう、やめてよぉっ!

わたしは飛び出していた。
お父さんに殴りかかろうとしている腕だけの化け物にしがみ付こうとした。
お母さんの口を塞いでいる頭を取り除こうとした。

でも……身体が空気のように通り過ぎていく。
夢を見ている神楽には何もできない。誰も神楽に気付かない。
そう夢。これは怖い怖い夢なんだ。
だったら……だったら、終わって欲しいこんな悪夢。
でも、起きるのはもっと怖い。なぜかな? そんな気がする。



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この身を捧げてでも……























(15)
 


「どうやら四巡、これまでのようだな。
どうだ。おとなしく我らにこの社を引き渡さぬか?」

真上から地響きのように鬼の声がする。
山門の上空を陣取った鬼の集団が、わたしたちを見下ろしている。
それと同時に、先陣を切った邪鬼たちの動きが止まる。

「ふっ、愚かなことを」

ふらつく足取りのまま、お父さんが空を見上げた。
その白銀の衣装は返り血に汚され、到る所を切り裂かれている。

「がははははッ、人の子の分際で愚かとな。言いよるわい。
このまま我らにひれ伏すなら、お主らの命だけは免じてやるものを……
まずは手始めに、この四百余年、我らを封じた封魔護持社を焼き尽くしてくれよう。いざ!」

赤髪の鬼が、あごをしゃくり合図を送る。
それに呼応して一列に並んだ鬼の頭が口を大きく拡げた。
鋭い牙の奥に渦巻く紅蓮の炎。それを一斉射撃するように、桧皮葺の大屋根に照準を合わせている。

全て焼き尽くす気なんだ。
お社も神楽が寝ている母屋も。

「待ってぇっ! 待って……ください」

そのとき、血を吐くような女性の声がした。
鬼たちの炎が口元から放出されようとしたその瞬間、胸まではだけさせられたお母さんが、お父さんの前に進み出ていた。

「お願いします。それだけは……火を掛けることだけはお許しください。
そのためなら私は……この涼風の杜の巫女である三鈴が、貴方様の申すことならなんなりと……如何様にもやらせてもらいます」

「み、三鈴っ! そなた、気でも触れたか?」

呆然とするお父さんにお母さんは哀しい目で応えていた。

「あなた、申し訳ありません。
ですが……涼風の杜の巫女として出来ることは、もうこれしか……」

そう呟くと、観鬼の手鏡をそっと地面に置いた。
身に着けている衣装を自ら脱ぎ去っていく。
授業参観のときでも神楽の自慢だった、きれいでスタイル抜群のお母さんが、あんな化け物たちの前に素肌を晒すなんて……
そんなことって……それもお社のため? 
違う! 部屋で寝込んでいるわたしのために……そんな……

シュル……シュルシュルシュル……ススッ……

白衣が地面に拡がり、緋袴の留め紐がスルスルと解かれる。
中から現れた白襦袢の腰紐も一息に引いた。

「ううっ、あなた、見ないでください……」

はらりと肌をすべる白い布。
残されたのは、女性の象徴を守るブラジャーとショーツだけ。

「がはははは、いいぞぉ。生娘でないのが惜しいが、これだけの美形。
どんな声で鳴くのか愉しみじゃのぉ。ぐふふふ、のぉ、羅刹」

「ったく、同意。だが、ただ犯すだけではお主も面白くあるまい。
ここはひとつ、趣向を変えてみてはと思うのだが?」

「ふん。羅刹、また良からぬことを思い付いたようだの。
ぐふふふ、好きにすればよかろう。俺様は頭を使うのが苦手じゃ。お主に任せた」

いつのまにか並んで座る2体の鬼を、胴体だけの物体が座布団のように敷き詰められて支えている。
その周囲を円周に囲む、上半身だけの鬼と下半身だけの鬼。

お父さんはというと、唇を血が滲むほど噛み締めたまま立ち尽くしている。
でも剣だけは手放していない。しっかりと握り締めたまま。

「どうした三鈴。早う残りの下穿きも取らんか?
そして、取り払ってこう言うのじゃ。『涼風の巫女の身体、どうぞご自由に』とな。
もちろんお主の道具を我らの目に触れさせること、忘れるでないぞ」

「ああ、はい。仰せのままに……」

震えるお母さんの指が背中に回る。
パチンとホックの外れる音を、わたしの心が聞いた。
緩んだカップを引き剥がした後で、豊かな乳房が波打つように揺れている。

(ケケケ……見ろよあの乳。しゃぶりつきてぇ)
(いや、餅みたいに捏ねてみてぇ)

ざわめく鬼たちの目線を浴びながら、お母さんの指が最後の一枚に掛る。
腰に両手を当てて一気に引き下ろして、まるで脱衣場にいるようにショーツを足首から抜いた。

(クククッ……艶っぽい太ももをしている)
(年の割には随分と慎ましい毛をしていやがる)
(いや、あれは剃っているんじゃねえのか? 風呂場で剃刀当ててよぉ。ケケケケ)

「おい、続きはどうした? 涼風の巫女はモノ覚えが悪い阿呆か。ググググ……」

立ち姿のまま両手で大切な処を隠すお母さんに、牛頭の鬼が次の行為を急かしてくる。
はやし立てるように取り巻く邪鬼たちも、禁句の単語を連呼する。

もういい! お母さん、もういいから!

わたしは耐えられなくなって、お母さんの前に立ち塞がっていた。
見えない透通る身体で残酷な鬼たちを睨みつけていた。

「神楽、あなただけは守る。どんなことがあっても守ってみせる」

それなのに……
まるでわたしが見えるかのように、お母さんは小さく小さく呟いた。
そして、わたしの方に笑い掛けると、そのまま空を見上げた。
上空に浮かぶ鬼をキッと睨んで、稟とした声で唇を開いていた。

「涼風の巫女の身体、どうぞご自由に」と……



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